私の簡単なプロフィール

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 私は1948年の始めに愛媛県の山奥で生まれたそうですが、生誕地で生活した記憶は残ってないので、「出身地は」と聞かれれば、ためらわずに「宮崎市」と答えます。南国宮崎の都心デパートまで徒歩で数分という便利なところで、店舗併用住宅で親の仕事を眺めながら育ちました。裏通りではありましたが、都心近くなので敷地は30〜40坪程度と狭く、私は花の咲く庭がある家を羨ましく思ったものです(その頃は庭を管理することの大変さも知りませんでした)。団塊の世代なので、当時はまわりに同年代の子供がたくさんいて活気がありましたが、最近はご多分に洩れず居住者がまばらになっています。私の育った家も取り壊され、現在は跡地にデパートの立体駐車場が建っており、周辺を歩いてみても、かつての面影を見つけるのは困難です。
 その宮崎から出て、京都大学で建築を学んだ後、出身地に近い都城市にある都城工業高等専門学校の建築学科に勤めることとなりました。勤め始めて間もない頃、ドイツのシュツットガルトに1年間留学させていただいき、ドイツのまちづくりを学べたことは、その後の研究生活に大きい影響を与えています。また、シュツットガルト大学で学ぶ直前にはフライブルクゲーテでドイツ語を勉強しました。フライブルクは魅力的な中規模大学都市で、「こんな町に住めたらいいだろうな」とは感じていましたが、まさか環境都市としてこれほど有名になるとは思いませんでした。なお、当初は都城でも公務員住宅に住んでいましたが、後に学校から少し離れたところに敷地80坪弱、延べ面積30坪弱という平家の分譲住宅を購入し、不便な郊外生活をおくることとなりました。
 その後、昭和の終わり頃に福島大学教育学部の家庭科教室に移りました。福島県は、国立大学に理科系学部がない全国唯一の都道府県だったため、福島大学では理工系設立が悲願とされていました。こうして、2004年10月に大学改組で悲願の理工系が設立されると同時に、学部制から学群・学類制へと移行しました。教育学部のうち、理工系の設立に加わらない部分は「人間発達文化学類」という全国唯一の名称を名乗ることとなり、私もそこに加わりました。だから、人間発達文化学類は、隠れ教育学部のようなものですが、教育学部の頃に比較し、卒業要件等の自由度が非常に大きくなっています。

主な研究内容
 私の研究は、主に(1)都市における住居と居住地のありかたに関する研究と、(2)ドイツの住宅・都市政策に関する研究、の2つから構成されますが、この(1)と(2)の研究は互いに関連しています。日本のことを考えるにあたり、外国の状況が大いに参考となるからです。だから、純粋に日本のことを研究している場合でも、頭のどこかでドイツのことをイメージしながら考えている場合もあります。
 これまでに発表した論文等は、旧教育学部ホームページにある専任教官一覧からリストへ行けるようになっていますので、そちらをご覧下さい。ただ、そこにあるリストからは外部へリンクが引かれていないので、出版社のページ等に紹介されているもの(学芸出版社だけですが・・)に限り、以下にリンク付きで紹介させていただきます。


蓼食う虫も好きずき私の好きなものを、思いつくままに紹介してみました

好きな外国語もちろん「ドイツ語」。英語と違って言葉が素直に構成されていて、初めて聞く言葉でもなんとなく意味がわかるところがいい。外来語がたくさん混じっている英語では、こんなことは期待できない。
好きなワープロソフト「一太郎」を愛用している。福島に来る前から使っているが、それでも使い方をすべて理解する域には達していない。Atokの変換機能に満足しており、ワードと違って勝手に振る舞わないところがいい。
好きな歌手30年前は森山良子、20年前は中森明菜、10年前はケイ・ウンスク。でも本当は、わかれうた以来ずっ〜と中島みゆきなのかもしれない。
好きな教科小学校の頃は社会科、中学校では数学、高校は物理、そして、自分は理科系だと信じて入学した大学では一般教育の歴史で、選んだ研究室は住宅問題を得意にしていた。だから、どの教科が好きなのか、自分にもわからない・・・。

(2005.11.15更新)

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