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東北大学 田中英道

 人類史にとって絵画が先か文字が先かという議論がよくされますが、むろん絵画が先といえます。文字というものは、それが契約の思想によって結ばれなければ意味がありません。ひとつの文字を少なくともその一つの社会で、同じ意味をもつという了解されることの前提が必要なのです。絵画の方は意味伝達よりも、感情や意志の表現が含まれる初源的なものが含まれているのです。アルタミラの洞窟壁画のビゾンの絵が依然として、何のために描かれたかはわからないけれども、その美しい姿で人々の眼をひきつけるのです。これまで獲物としてそれをとらえたいという願望から描かれた、という説明がなされていましたが、その頃はビゾンよりも、トナカイの類が圧倒的に多く食べられていたという骨の集計から否定されています。恐らくはその勇猛な姿に人々が感銘していたから描かれたのでしょう。しかし、洞窟でもこのような美しいものだけではありません。

 絵画として描かれたからといって、「絵画」として、つまり芸術として認められるわけではありません。「絵画」となるためには、そこに芸術的価値があると人々から認定される必要があります。つまり「近代」となって、美術館ができそこで多くの絵画の中で秀でた価値を持っているから展示しよう、という過程があるのです。そうした選択がなされるようになってから、「絵画」が芸術として認められたといってよいでしょう。

 しかしこれは「近代」に限ったことではありません。中国ではすでに五世紀の終わりに謝赫(しゃかく)によって『画の六法』が書かれ、それに基づき「絵画」に対する批評の指針が生まれています。そこには「気韻生動」、「骨法用筆」、「応物象形」、「経営位置」、「隋類賦彩」、「伝移模写」と六つの原則が書かれており、これが中国ではその後、今日まで水彩画の基本となっています。特に「気韻生動」は、「絵画」の最も大事な要諦で、何よりも生き生きとした気韻が伝わってこなければ、よい作品といえないと言っています。単に技巧をこらして、うまく描かれても、決してよい「絵画」とはいえないのです。

 この6つの法は、おそらく西洋画にも通じる指針になると思われます。イタリアの16世紀、ミケランジェロの弟子であったヴァサーリは、絵画の指針としてこれに対応する意味のことを言っています。ただ最初の気韻生動の代わりに、グラツィーエ(優雅)とかディヴィーノ(神的)といった言葉を使っていますが、これはキリスト教の神を思わせ、「近代」では通用しません。カントなどはこれを「崇高」や「天才」といった言葉に置き換えていますが、ここにはやはり西欧的な「神」観念を思わせるものがあり、「気韻生動」のほうが普遍的になるように感じられます。いずれにせよ、技術も重要ですが、その生き生きとした精神性が観る人に伝わってこなければ、いい「絵画」とはいえないといっているのです。これは今でも通じる絵画の基本です。


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