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福島大学 渡辺晃一

II.「絵画」とは何か〜東洋的な解釈から〜

1. 日本の近代絵画

1)現代、日本における「デッサン」

「対象を見たまま正確にデッサンする勉強が 是非とも必要です。正しい形と明暗の段階を十 分よく見出して写しとることです。それには最 初石膏を、それから人体をデッサンすることが 一番よいように思います。石膏は白色ですから 色にごまかされずに明暗の段階が実によく分か るし、動かないから形を思うだけ十分によく見 て写すことができるので、初歩の人には甚だよ いモデルです。また同時によい石膏は古典的な 形の美を教えてもくれます。」
(安井曾太郎『洋画技法講座 デッサン編』1949年)
と安井曾太郎は語っている。日本人にとっては、このような「絵画」の学び方が通俗的であり、彼の言葉をすんなりと受け入れる者も多いであろう。安井は、昭和の日本洋画史のなかで中心的な役割をした人物であり、安井こそが日本人の一般的な「絵画」観を確立した人物であると言われている。その安井が絵画論として語るのは、ほとんど「デッサン」であり、日本美術史上で、彼ほどデッサンについて多くを語った画家もいない。では安井は「絵画」をどのように捉えていたか。その背景を知ることによって、日本人における「絵画」観を再考察していきたい。

2)アカデミズム出発論的な「絵画」観

  安井曾太郎は、フランスに留学し、純粋にボザール方式の講義を受けた人物である。ボザール方式とは、アングルが校長を務めていた1850年代に確立したエコール・デ・ボザールでの学習指導方法を呼称したものである。そこでは歴史画家の要請のために確立されたアカデミックな西洋絵画の学習方法を基盤にしていた。

 なお安井曾太郎だけではなく、明治以降、ほとんどの日本の洋画家たちが、アカデミックな指導で西洋絵画を学んでいる。1875年、工部美術学校創立の際は、浅井忠、小山正太郎、松岡寿が学んだのは、イタリア、トリノ王立アカデミーで風景画を教えていたフォンタネージである。彼は日本で、遠近法、幾何学、解剖学を中心に添えた正統なアカデミックなデッサンの講義を実施した。黒田清輝が通ったのは、ラファエル・コランの絵画塾であった。ラファエル・コランはサロンで活躍し、後にエコール・デ・ボザールの教授になっている。久米桂一郎、岡田三郎助、和田英作が同じくラファエル・コランに師事していた。そして梅原龍三郎と同じく、安井曾太郎ははじめ浅井忠に師事し、後に正統アカデミーの大家として認められていた、ジャン・ポール・ローランのアカデミージュリアンの教室に通っていた。同じ教室で学んだ画家には、中村不折、鹿子木孟郎がいる。

 安井曾太郎が、アカデミージュリアンでのボザール方式のデッサン教授法に対して、不満や疑問を記述した言葉は、様々な文献を調べても見出せない。そして彼は終始「絵画で第一に大切なことはデッサンです。すなわち形を正確に写すことである。」と語っていた。石膏像やヌードモデルを見て、描き写すことを手始めに描くことが初歩段階の絶対的基礎、必修な訓練と考えていたのである。それ以外のデッサンを、自由研究と呼び、さらに自由研究は初学者をまどわすものとさえ言って避難さえしている。

 しかし一方で、安井が西洋絵画の見本として、重要視していたのは、フランス美術のなかでもセザンヌであった。安井の作品は、梅原龍三郎がルノワール風と言われていたのに対して、セザンヌ風と呼ばれている。しかし安井が直接セザンヌと出会ったり、フランスで印象派の活動に参加したことは一度もない。このような背景をもつ安井流の「絵画」観について、美術評論家の若林直樹は、著書『退屈な美術史をやめるための長い長い人類の歴史』のなかで、次のようなメタファーで語っている。

 「同じ場所から出発して到着地点を競う個人 競技があるとする。個々人は精進し訓練して競 技に臨む。出発点はアカデミズムのデッサン、 遠くまで到着できた者が勝ちだ。
  新美術の競技である。ただし競技場の大きさ はセザンヌ程度と決められていて、キュビスム まで達した者は反則だ。また、写真や映画、グラフィックデザイン、建築のような他の種目に 手を染めた者は競技者と認められない。」)

 安井曾太郎のアカデミズム出発論的な「絵画」観は、新しい美術を生み出した最良の事例としてセザンヌをとりあげ、彼のようにアカデミックなデッサンの基礎のうえに新美術が存在することが最良の道のように語っている。あたかもデッサンが絵画の入り口であり、具象絵画を学んだあとに抽象絵画が描けるかのようなニュアンスさえある。安井の言葉からは、さらに抽象絵画は軽薄な流行の類いと考えていた形跡さえある。しかしこのような安井型の素描論、ひいては日本で一般に広く信じられている「絵画」観は、近代以降の絵画から見ると、きわめて狭い範疇の考え方であり、現代の絵画ではごく一部にしか適用できないものである。事実、西洋のdessin はすでに安井がフランスで学んだ頃、必ずしも目に見えるものを写し取る技術の修練だけではなかった。例えばキュビスムやバウハウスのdessinでは、「絵画」の形態研究をより重要視している。シュルレアリスムに見られるデッサンでは、「オートマティスム」に身体を使って描く表現行為そのものの意味を読みとっている。また、いくらアカデミックな「石膏デッサン」を学んだところで、頭に浮かんだものを描くことはできない。魑魅魍魎、妖異、空想などの人間がもっている様々な想像力の類を描くことは学べないのである。このようなdessinに対する考え方の背後には、表現力と一緒に、思考力、想像力を訓練するという「絵画」観が結びついている。

 なお、後に印象派と呼ばれる画家たち自体、写真のように正確な描写力、立体を再現するという意味のdessinではなく、陰影法や遠近法と違うものを模索していた。彼らが参照していたのは、日本の浮世絵をはじめ、様々な国の「絵画」であった。印象派の画家がアカデミズムなデッサンを学んだと言っても、それは時代的な要請であろう。つまり印象派以降、具象絵画をうまく描く訓練としての意味あいのボザール方式のdessin 指導法は、西欧美術の主流とは言えなくなっていたのである。


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