| はじめに(現状、問題定義、目的)
「版という字は、出版とつかうように、複数的な商業用語のような感じを多くもつもので、芸術を根元としてつくり出される板画は、板という字が一番ぴったりくると思うのです。」 註1
棟方志功(1903-75)は、「創作版画」を、フランス語のgravure orignal から山本鼎(1882-1946)が翻訳したと考えていた。そのため<版>画ではなく、「板画という字を使うところから、ほんとうの板画が生まれてくるのではないかと思うのであります。創作板画という言葉をつかうことなく、板画という言葉だけで、芸術的なものをあらわす」と述べている。
「現在ではコピー機などの複製機器が隆盛しているから、「版画」の講義は時代遅れ。」とある美術の教官に言われたことがある。「映像メディア」によって、日毎に複製術が進歩している今日、「版画」を教育する意味を、どのように捉えるとよいか。
戦後日本では、棟方志功、斉藤清(1907-1997)、浜田知明(1917ー)などの「版画家」が、国際的に活躍する渦中で『東京国際版画ビエンナーレ展』(1957-1979)が開催されたが、「版画」と写真、デザイン、ポスターなどの「映像メディア」や「複数性と同じ機能として持つ印刷」との違いを議論し続け、結果、「複数性」よりも「<版>を媒体とする表現」に、重点が置かれたが、<版>の概念は曖昧なまま、本展は終焉した経緯がある。註3
一方、近年開催された渋谷区立松檮美術館の『現代の版画1994-95』展では、写真やコピー機のプリント、カセットテープやビデオのダビング等の「複製」、本展ではさらにはクローン動物や遺伝子(DNA)もまた<版>の範疇であると、図録に記載されている。(図1−2)
本稿は、このように状況や価値の置き方によって多義的な意味内容を含んできた<版>の概念を、「身体」との関わりから、あらためて措定したものである。また現代美術における<版>の意味、社会的役割についても触れている。さらに「版画」について、美術教育のなかでの意義を再考察した。
執筆者の渡辺晃一は、これまで「等身大の身体」をキーワードに、人と人、人とものとの接触行為を通じて、現代、美術のもつ意義を提起してきた。註4
荒木久美子は渡辺研究室で、「版画」における教育的意義や表現の可能性を研究している。
なお本論文の執筆分担としては、第1、3章の3節、4節、4章を渡辺、第2、3章の1節、2節を荒木が担当している。
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