社会的空間 espace sociale(20)
社会的空間というのは、われわれの行動する社会の物理的な空間を指しているのではない。ブルデューはこれを「社会的位置の集合」であるとし、人間の認識に先立ってすでに名前がつけられている主観的な空間を意味する。社会的空間は、沁ミ会的位置、ハビトゥス、。立場決定(選択)の関係をを決定づける。
例えば、教師は生徒を「積極的/消極的」というカテゴリーに分けたがるが、この性質は生徒の本質の一部を表しているのではなく、学校という社会的空間すでに書き込まれている「積極的消極的」という尺度に対応する行動の主に押されるた烙印である。ま た、同じように「上品/下品」と表現される行動や物は、その行動や物の本質が規定されているのではなくつまり絶対的に上品なもの、絶対的に下品なものはありえない、社会的空間の中に占める「位置」が他との相対関係によって規定されているのである。この上品/下品を判断する定義が書き込まれている空間を社会的空間と呼ぶのであ る。
この社会的空間の概念を用いることにより、特定の社会の中である位置を占める人間の性質を、その人間自身から定義するのではなく、「社会の中では〜と規定されている」というかたちで相対化することが可能になる。例えば「校長先生」が「偉い」のは、その人物が天性として優れた人格を与えられ、必然的に校長という職に就いたのではなく、たんに社会的空間の中では「偉い」と認識されている「校長」という位置を、その人物がたまたま占めているから「偉い」のである。幼児が校長先生は偉いものだと認識できないの は、その人物の性質を認識できないからではなく、社会的空間に書き込まれている言葉が分からないからである。
社会的空間は言語的な差異の空間ということもできる。社会的空間内に存在する特定の位置を占める個々の事物は単独では何の意味を持たず、互いに差別化されることによって初めて意味を持つようになる。「保守」があって「革新」が意味を持ち、「古い物」があって「新しさ」が意味をもつようになり、また、「庶民」がいるから「高級」という性質が威力を奮うことができるのである。言語体系は差異そのものの体系で、例えば、ある言葉「i-nuイヌ」という言葉は、犬と呼ばれている生物とはなんら無関係な音韻を持っている。この「i-nuイヌ」という音は、他の動物、例えば猫や猿や牛のどれでもないという差異そのものを表している。こうした差異は、単方向だけではなく、さまざまな物差しが交錯し合い、縦横に関係づけられて体系化されている。
社会的な知覚カテゴリーを通して、つまりこれらのものの見方・分割の仕方の原理を通して、実践や所有されている財、表明された意見などにおける相互の差異が、象徴的空間となってまさに文字通りの言語体系を構成する、ということです。(21)
「保守」と「革新」、「若さ」と「老い」、「正常」と「異常」といった概念を分ける線を引く位置(境界limite)は、さまざまな社会で闘争となるが、実はこの線引き(象徴闘争)は社会的空間に引く線なのである。これを分類闘争lutte des classements と呼 ぶ。
社会的空間は、個々の社会的位置が経済資本と文化資本の二つの差異化の原理にしたがって配置され、構築される。