第23分科会
レポーター:栗城利光・山口茂樹(内海)
担当・司会:横川嘉範・大和久勝・沼田純一・西内裕一
・本分科会では、はじめに横川による基調報告が行なわれた。
そこでは、子どもの中に、平和・人権・民主主義をつくりだしていくために必要な「日常的な平和教育」と「取り立てての平和教育」のそれぞれの内実を明らかにするとともに、その関係を明らかにすること、さらに、視野を一国内の問題にとどめることなく、世界にむけて大きく目を開き、人類的課題にこたえるものとしての「グローバルエデュケーション」の内実を検討することが、本分科会の課題となってきたことが明らかにされた。
・栗城利光「新学力観と対峙する学びの世界」
中学3年の社会科「公民」の授業で、「茶髪論争」(自由権)に始まり、「薬害エイズ問題」(社会権)の学習をへて、差別と人権の問題の問題をとらえ、学習することは、すなわち現代社会の中でどのように考え生きていくのかを問い直すことであることを実感させ、子どもの権利条約の国連への報告書を作成するにいたった実践。
伝達的・受動的な学習から、意見表明・社会参加的な学習へと導いていったすじみちとてだてがはっきりと示された報告であった。
討論では、まずこの実践と新学力観にもとづく実践との違いが問題になった。それは、孤立化・個別化に向かうのか、共同・連帯へ向かうのかの違いであり、批判しない・からまない「勉強」と、批判的なかかわりあいの中での「学び」の違いであり、自分の生活現実へのかかわりが広がり、深まっていくというみとおしの有無であることがあきらかにされた。
また、「茶髪」をとりあげて論争させることは、管理社会・中流社会へのプロテスト/「いい子」文化へのプロテストを孕み、意識的にも無意識的にも子どもの持っている文化と教師・学校の持っている文化の双方をとらえ直していくことにつながるのではないかという指摘があった。
この実践の分析・検討の全体をつうじて、地球市民として生きるための「市民性」を獲得するためには、「内容としてのグローバルな学び」(自由権・社会権とはなにかを学ぶこと)にとどまらずに、「考え方・生き方としてのグローバル性」(自由権・社会権を行使すること)を実践の視野にきちんと入れておく必要があることが明らかになった。
・山口茂樹「「ふりそでの少女像」に取り組んで」(報告者:内海)
綾部中3年生の生徒会活動を中心とした実践。広島への修学旅行の事前学習、英語・国語・音楽などでの自主教材による平和学習、「ふりそでの少女像をつくる会」でのとりくみ、生徒会演劇、群読、梅原司平コンサートにおける構成詩、卒業記念合唱会と、行事を軸としたダイナミックな平和学習が行なわれたものである。
ここでは、単に学校の中での「学び」にとどまらず、「ふりそでの少女像をつくる会」・「ピース トーク in あやべ」・梅原司平コンサートといったような、地域の市民たちへの広がりを持った活動をつうじて社会参加をし、そのなかで多くを「学び」、グローバルな市民性を身につけていっている様子がていねいに報告され、明らかにされた。
分析のなかでは、教師たちの「実践構想」は、やや見えづらいところがあるものの、生徒会のメンバーたちの意識や活動は、レポーターたちによってしっかりと把握され、その中で育まれてきた友情や連帯の意識もみごとに報告されている点、高く評価された。
「つくる会」に参加した生徒たちの学習の広がり、深まりは、現代的課題とのリンクの中で生じ、それは子どもの生き方や学びのあり方を問い返すものとなっている。また、その活動・運動の広がりは、まさに社会参加による学びと自治の獲得のあり方を示すものとなっている。
運動のための組織−合意形成の方法についても話題になった。原案提出−討議−決定という「決議」方式と、いわゆる「草の根」的な「市民運動」型合意づくりの方式との違いをどうとらえるか、また、単なる「根回し」ではないボランタリーな小グループのなかでの合意形成のあり方をどう考えるか、またそういった小グループどうしのつながりをどのようにつくっていくのかといった運動のための組織論の検討が必要であることが提起された。
レポート執筆者の事故のため代理報告となったが、ていねいな報告によって実りある分析・検討を行なうことができた。
(文責:西内)