第2節 中等社会科教育と生活指導(10.29最新バージョン)赤字が加筆修正部分
1 「公民的資質」の形成と生活指導
・「公民的資質」とはなにか
「公民的資質」とはなにか。敗戦直後に構想された公民教育構想では、実践的指導と知的指導とでもって「公民的資質」を形成するものであるとしている。*1ここからは、「公民的資質」の形成は、単に社会科の目標であることにとどまらず、生活指導、教科外教育さらには学校外教育をも含めたところで、その目標を達成するものであると考えられていたようである。
1947年版、1951年版の『学習指導要領』においては、現在は批判的とらえなおしがされつつあるが、新憲法のもとでの「国民教育」の中核を担う教科として社会科が設定されているのである。そこでは、特に民主主義の原理にのっとった政治的な力量を獲得させるという意味において「公民」形成、「公民的資質」の形成という目標が掲げられているのである。
民俗学者の柳田国男は、戦後新設された社会科の目標は「一人前の選挙民」をつくることであると考え、成城学園初等学校の先生たちと一緒に、そのためのカリキュラムをつくり、1954年度から使用された小学校社会科の教科書『日本の社会』をつくった。*2
柳田のいう「一人前の選挙民」は、議会制民主主義の制度のもとに政治が行われている近現代社会において、普通選挙が制度化された国や自治体に生きる人間の政治的な力量を形成するという社会科の目標を、端的にいい表しているものとしてはなはだ興味深い。
この中には、「選挙と政治」という単元があり、「クラスのいろいろな係」「全校児童会」「ピーティエー」「郷土と学校」「郷土の役所」「地方議会」「地方の政治と国の政治」というようなトピックがあり、自分たちの自治の問題から、少しずつ地方、国へとあがっていくような構成になっている。*3
このように、初期の社会科は、まさに「公民的資質」形成の中核であり、知的な問題にとどまらない、こんにちでは、生活指導の課題である子どもたちの政治的行為・行動の指導までも含みこんでいたといえる。
しかしながら、1955年以降の『指導要領』の改訂においては、回を重ねるごとに、「公民的資質」の内実が知的な側面に傾斜してゆき、社会科の役割も社会認識の形成のみを問題にし、社会的行為や行動のちからをつくっていくという側面は、しだいに影を薄くしてきている。
また、社会科教育学においても、梶哲夫は「公民的資質」の形成において「生涯学習」を視野に入れることを主張していたのであるが、社会科はその「基礎を養うことが重要」であるとして、認識と行為の分断を容認するものとなってしまっていた。*4阪上順夫はアメリカの公民教育審議会の動向に注目し、「公民的資質」を「参加・一体化される」ものとして、「広義の公民教育」を提起していた。*5山根栄次は経済的社会化の観点から、生活指導や敗戦直後の公民教育構想に見られた「公民的実習」を視野に入れた「広義の公民教育」を提起していた。*6
しかしながら、これらの研究においては、「公民的資質」の形成に対して社会科教育以外の場面、たとえば「生涯学習」や生活指導の場面を視野に入れようとしてはいるが、それらと社会科教育とのかかわりはどのようになっているのかが問題にされていないのである。社会科教育は、知的な社会認識の形成のみを担うものとして位置づけられているにすぎないものである。
さらに、近年、グローバリゼィションの進展にともなって、「国際理解」教育をめぐっての議論がかまびすしい。その中で、箕浦康子は、「地球市民を育てる」ことを学校教育の目標としているが、*7森田俊男のように、子どもが生活している地域の具体的現実の中に地球社会の問題が存在し、それに取り組んでいくことが「地球市民」としての資質形成に役に立つこと、すなわちアクト・ローカリーが重要であるという点には触れていない。*8
この目標から、社会科教育・生活指導の共通の目標として育てられるべきものは、「国際社会に生きる日本人としての生き方・あり方を身につける」ことではなく、「地球市民として自立し、共存し、連帯して、地域に生きるちからを育てる」ことであるといえる。これこそがまさに現代の地域に、そして地球社会に生きる人間の「公民的資質」であるといえよう。
・「公民的資質」の内容とその獲得・形成について
それでは、「地球市民として自立し、共存し、連帯して地域に生きるちから」という「公民的資質」の具体的な内容について考えてみたい。
ここでは、とくに、社会的状況・場面における自己判断・自己決定・自己責任のちからと自治のちからの問題について考えてみたい。
社会科教育においては、自己判断の元になる歴史・地理・「公民」に関する科学的な知識・認識の形成と、それらにもとづくさまざまな「個人的知識」*9の形成がその課題の中心となっている。これらを「基礎的知識」と「基本的知識」の獲得・形成と呼んでもよいが、これらを段階論的に把握することは誤りである。
そして、「個人的知識」は、個人としての自己判断・自己決定をするにあたっての材料となるものであり、その自己決定に基づき、何らかの社会的行為・行動が行われる。この社会的行為・行動を行うにあたっての見とおしと手だてを与えてくれるのが生活指導という教育的な営みである。そこでは、自己責任のとりかた、他者との連帯と自治をつくりだす方法などが具体的な学校生活や社会生活の中で問題とされる。
「公民的資質」とは、これらの総体である。したがって、それはひとり社会科教育の中でのみ獲得・形成されるものではなく、いわゆる学習指導によって他の教科においても形成される「個人的知識」や、教科外教育という領域ににおいても形成される「個人的知識」と、生活指導という教育的営みの中でつくりだされる自立と連帯、自治のちからとがあいまって、獲得・形成されるものなのである。
・子どもの成長と「公民的資質」獲得・形成のためのベース
それでは、「公民的資質」を獲得・形成していくためには、どのようなベースが必要なのであろうか。
「公民的資質」を獲得・形成していくためには、「あたま」だけではなく、「からだ」を、そしてさらに「こころ」や「ことば」を同時に育てていく必要がある。
そのためには、「地球市民として地域に生きるためのスキルとアートのトレ
ーニング」が必要である。
具体的には、少年期において「大脳辺縁系―脳幹部―自律神経系」を成熟させる野生の生活と集団(社会)の経験を豊かに持たせること、そして生命を保存する「文化としてのからだ」「自我の祖型としてのからだ」をつくることである。*10
これらのことが、初等教育段階で期待されている「公民的資質」の基礎を養うこと、いいかえれば、民主主義を維持するために必要な自覚と教養を体験を通じて学ぶということを、支えるベースとなる。*11
その上にたって、中等教育段階から始まる青年期においては、「自分くずしと自分つくり」を行っていく必要がある。親やまわりのおとなたちによって規定されている自分をくずし、自分の人生の主人公となる自分をつくることである。そのような「からだ」と「こころ」と「ことば」をつくっていく必要があるのである。
この、「からだ」「こころ」「ことば」をつくっていくものが、具体的な子ども・青年の生活それ自体なのであり、生活指導とは、子ども・青年の生活が子ども・青年を指導するということを把握しつつ、その生活を子ども・青年とともにつくりだしていく教育的営みであるといえる。
2 中等社会科の授業と生活指導
・中等教育の基本的課題と社会科・生活指導
中等教育の基本的課題は、「自分くずしと自分つくり」「職業選択のための普通教育と職業教育」「地球市民として地域に生きるためのスキルとアートのトレーニング」にある。
「自分くずしと自分づくり」については、前述の通りである。「職業選択のための普通教育と職業教育」とは、自分の職業選択に向けた進路についての自覚とそこへ収斂される普通教育と、職業教育としての専門教育のことであり、これは高等教育にも引き継がれるものであるが、中等教育において始められるべきものである。「地球市民として地域に生きるためのスキルとアートのトレーニング」は、初等教育で養われる民主主義を維持するために必要な自覚と教養の上にたって、行われるものである。これは、Think
globally, act locally
というメンタリティーと行為・行動のちからとを身につけることを目標とするものである。
中等社会科の授業においては、「職業選択のための普通教育と職業教育」の一部と、「地球市民として地域に生きるためのスキルとアートのトレーニング」のうちの主として認識形成にかかわる部分、すなわち、Think
globallyに関わる部分が行われる必要がある。
この観点から、現在の中等社会科のカリキュラムと授業を、具体的にはその教科内容、教材、教授行為(発問・指示・説明・評価言といった指導言とパフォーマンスなど)、学習方法、学習組織を再検討していく必要がある。
いっぽう、中等教育における生活指導においては、「自分くずしと自分つくり」全般、「職業選択のための職業教育」と連動した進路指導、「地球市民として地域に生きるためのスキルとアートのトレーニング」のうちの「自治と交わり、共存・連帯」のためのスキルとアートのトレーニングが課題となる。
そもそも生活指導とは、子ども・青年が自分の生活現実を知り、自分の生きかたをより価値あるものに高めていくことができるように指導する教育活動であり、子どもの生活現実を発展的に変革していくことと、子どもの人格・個性を発達させていくこととを統一してとらえていくものなのである。*12
・社会科の授業と生活指導
このように見てくると、どの教科もそうであるのだが、とりわけ社会科は、いっそう生活指導とつながるかたちでの「カリキュラムづくり」「授業づくり」が必要であることがわかるであろう。
前述したように、社会認識の獲得・形成と社会的行為や行動のちからの獲得とは、切り離して考えることはできないはずであるのに、社会科の授業の多くにおいては、社会的行為・行動のちからの獲得の問題が等閑視されているのである。
また、現在の子ども・青年たちの置かれている状況からすると、「教科中心のカリキュラム」に入る前に、いや、場合によってはそれにとって替わるものとして、「ケアと癒しのカリキュラム」*13「エンパワーメントのカリキュラム」*14が必要となってきているのである。
では、具体的にはどのような授業をつくっていったらいいのだろうか。
埼玉県の中学校教師渡辺雅之は、「公民」的分野の授業の中で、在日朝鮮・韓国人の問題を取り上げ、その差別の実態を実感させるために、女生徒にチマチョゴリを着せて街中を歩かせ、周囲からどのようなまなざしを受けたのか、そして、どのような扱いを受けたのかを文化祭で発表させた。
ある生徒は、パネラーとして次のような発表をした。
「私が考えていた、ジロジロ見る……という人は本当に少なく、チラッと見 て、目をそらしてしまう感じでした。
Yさんがイトーヨーカドーの食品売場を歩いているとき、若い男の人が『なんだ?あの朝鮮人』といっているのを耳にしました。私が駅を歩いているときも、すぐ後ろで女子高生っぽい2人が、結構大きめの声でいきなりチマチョゴリの話をしだして、『これだよね』などと言うことも言っていまし た。ちょっとイヤだったです。(中略)
私服で歩いているときとは全く違っていて、ちょっと距離をおかれている 感じでした。たった30分程でもイヤな気持ちになってしまったのだから、朝鮮学校の人は、もっともっとつらいと思います。本当に朝鮮学校の人たちの気持ちが分かりました。(以下略)」
また、別の生徒は、
「一番印象強かったことは、朝鮮人の人に話しかけられたことです。最初どう対応していいのか分からなくて、おどおどしていたけれど、その人の娘が朝鮮学校の高等部に通っていると言う事を聞いてびっくりしました。(ああ、この人は朝鮮人だったのか…)とその時、初めて分かりました。
歩いていて気付いたことは、すれちがう人の視線がちらちらこっちを見るという感じだったけれど、逆に遠くからだとジーっとみてくる感じで、なんだか嫌な印象を受けました。特別怪しいと言う人はいなかったけれど、私が座っている前をうろついていた人がちょっと怖かったです。その時、普段の格好だったら気にしなかったと思うけれど、チマチョゴリを着ているせいか、やたらと事件のことが頭をよぎりました。(中略)
今回チマチョゴリを着てみていろいろなことが分かりました。朝鮮人がいる前で、口には出さなくても、陰で『なんだ、あの朝鮮人』と言っていることから、やはり実際に『差別』が起こっているということが改めて分かりました。(以下略)」
という、発表をしている。
これは日本社会におけるマイノリティである在日朝鮮・韓国人に対する民族差別の問題なのであるが、そのことと同時に、性差別、ジェンダーの問題でもあることを生徒たちに気づかせることにもなっているのである。
この実践は、社会科の授業と教科外・生活指導との関係のあり方についての一つの典型となっているのみならず、社会科の授業と「総合的な学習の時間」との関係についても一つのモデルを提示するものとなっているのである。
註
1*文部省『国民学校公民教師用書』、1946(片上宗二編著『敗戦直後の公民教育構想』教育史料出版会、1984、所収)参照。
2*「柳田社会科」については、拙稿「『柳田社会科』の目標と内容についての考察」、『東京大学教育学部紀要』第24巻、1984、同「『柳田社会科』の教材としての教科書『日本の社会』について」『福島大学教育学部論集』教育・心理部門、1988、谷川彰英『柳田国男と社会科教育』三省堂、1988、参照。
3*柳田国男『日本の社会 6年下』実業之日本社、1954。
4*梶哲夫「「国民主権を担う公民」の観点にたって」、『教育科学社会科教育』No.170、1978年1月号。
5*阪上順夫「公民教育の意義と役割」、日本社会科教育学会編『社会科における公民的資質の形成』東洋館出版社、1984。
6*山根栄次「経済的社会化と公民教育」、『同上書』。
7*箕浦康子『地球市民を育てる教育』岩波書店、1997。
8*森田俊男『平和・国際教育論―新しい市民の形成を―』平和文化、1993。
9*マイケル・ポラニー(長尾史郎訳)『個人的知識』ハーベスト社、1985。
10*竹内常一『子どもの自分くずし、その後』太郎次郎社、1998。
11*野田俊作・萩昌子『クラスはよみがえる』創元社、1989。
12*竹内常一「生活指導」『大百科事典』(第8巻)平凡社、1985。
13*佐藤学『学び その死と再生』太郎次郎社、1995。
14*竹内常一『少年期不在』青木書店、1998。
*本稿を書くにあたって、以下の方々から有益な示唆をいただいた。記して感謝にかえたい。
子安潤、折出健二、渡辺雅之、坪野和子、柴田祐作、西内みなみ
第2節 中等社会科教育と生活指導(6.9バージョン)
1 「公民的資質」の形成と生活指導
・「公民的資質」とはなにか。
「公民的資質」とはなにか。敗戦直後に構想された公民教育構想では、実践的指導と知的指導とでもって「公民的資質」を形成するものであるとしている。ここからは、「公民的資質」の形成は、単に社会科の目標であることにとどまらず、生活指導、教科外教育さらには学校外教育をも含めたところで、その目標を達成するものであると考えられていたようである。
1947年版、1951年版の『学習指導要領』においては、現在は批判的捕らえなおしがされつつあるが、新憲法のもとでの「国民教育」の中核を担う教科として社会科が設定されているのである。そこでは、特に民主主義の原理にのっとった政治的な力量を獲得させるという意味において「公民」形成、「公民的資質」の形成という目標が掲げられているのである。
民俗学者の柳田国男は、戦後新設された社会科の目標は「一人前の選挙民」をつくるすることであると考え、成城学園の先生たちと一緒に、そのためのカリキュラムをつくり、1954年度から使用された小学校社会科の教科書『日本の社会』をつくった。
柳田のいう「一人前の選挙民」は、議会制民主主義の制度のもとに政治が行われている近現代社会において、普通選挙が制度化された国や自治体に生きる人間の政治的な力量を形成するという社会科の目標を、端的にいい表しているものとしてはなはだ興味深い。
このなかには、「学級会」という単元があり、****
このように、初期の社会科は、まさに「公民的資質」形成の中核であり、知的な問題にとどまらない、こんにちでは、生活指導の課題である子どもたちの政治的行為・行動の指導までも含みこんでいたといえる。
しかしながら、1955年以降の『指導要領』の改訂においては、回を重ねるごとに、「公民的資質」の内実が知的な側面に傾斜してゆき、社会科の役割も社会認識の形成のみを問題にし、社会的行為や行動のちからをつくっていくという側面は、しだいに影を薄くしてきている。
社会科教育学においては、梶哲夫は「公民的資質」の形成においては、「生涯学習」を視野に入れることを主張していたが、社会科はその「基礎を養うことが重要」であるとして、認識と行為の分断を容認するものであった。阪上順夫はアメリカの公民教育審議会の動向に注目し、「公民的資質」を「参加・一体化される」ものとして、「広義の公民教育」を提起していた。山根栄次は経済的社会化の観点から、生活指導や敗戦直後の公民教育構想に見られた「公民的実習」を視野に入れた「広義の公民教育」を提起していた。
しかしながら、これらにおいては、「公民的資質」の形成に対して、社会科教育以外の場面、たとえば「生涯学習」や生活指導の場面を視野に入れようとしてはいるが、それらと社会科教育とのかかわりはどのようになっているのかが問題にされていない。そして社会科教育は、知的な社会認識の形成のみを担うものとして位置づけられているだけである。
箕浦康子は、「地球市民を育てる」ことを学校教育の目標としているが、この目標から、社会科教育・生活指導の共通の目標として育てられるべきものは、「国際社会に生きる日本人としての生き方・あり方を身につける」ことから、「地球市民として自立し、共存し、連帯して生きるちからを育てる」ことに、変換されるべきである。これこそがまさに現代社会に生きる人間の「公民的資質」であるといえよう。
・「公民的資質」の内容
それでは、「地球市民として自立し、共存し、連帯して生きるちから」に変換された「公民的資質」の内容について考えてみたい。
ここでは、とくに、
・子どもの現状と「公民的資質」育成のためのすじみちとてだて
「公民的資質」育成のためには、「あたま」だけではなく、「からだ」「こころ」「ことば」を育てていく必要がある。
そのためには、「地球市民として生きるためのスキルとアートのトレーニング」が必要である。
具体的には、少年期において「大脳辺縁系―脳幹部―自律神経系」を成熟させる野生の生活と集団(社会)を経験を豊かに持たせること、そして生命を保存する「文化としてのからだ」「自我の祖型としてのからだ」をつくることである。
2 中等社会科の授業と生活指導
・中等教育の基本的課題と社会科の授業
中等教育の基本的課題は、「自分くずしと自分つくり」「職業選択のための普通教育と職業教育」「地球市民として生きるためのスキルとアートのトレーニング」にある。
社会科の授業においては、「職業選択のための普通教育と職業教育」の一部と、「地球市民として生きるためのスキルとアートのトレーニング」が行われる必要がある。この観点から、現在の社会科の教科内容、教材、学習方法、学習組織を再検討していく必要がある。
・中等教育における生活指導
いっぽう、生活指導においては、「自分くずしと自分つくり」、「職業選択のための職業教育と連動した進路指導、「地球市民として生きるためのスキルとアートのトレーニング」のうちの「自治と交わり、共存・連帯」が課題となる。
・社会科の授業と生活指導
このように見てくると、どの教科もそうであるのだが、とりわけ社会科は、いっそう生活指導とつながるかたちでの「カリキュラムづくり」「授業づくり」が必要であることがわかるであろう。
社会認識の形成と社会的行為や行動のちからの獲得とは、切り離して考えることはできないはずであるのに、社会科の授業の多くにおいては、社会的行為・行動のちからの獲得の問題が等閑視されているのである。
では、具体的にはどのような授業をつくっていったらいいのだろうか。