第3節 社会科教育とマルチメディアの活用 (6.19改訂版)  改訂個所は、赤字

  1 情報化社会の課題とメディア・リテラシー

・高度情報化社会の問題

 戦後日本は、書籍、新聞、雑誌という紙のメディアが中心であった時代から、ラジオ、テレビ、衛星放送という電波メディア中心の時代に移行してきた。*1
 また、マスメディアだけでなく、パーソナルメディアの分野においても、手紙から電話へとその中心が移行している。また、電話においても、ポケベル(ポケットベル)、ケイタイ(携帯電話)、ピッチ(PHS)、というような、いわば「どこでも電話」というメディアに移行しつつあり、これらは今や多くの若者にとっての必須のアイテムになっている。*2
 また、近年コンピュータも大きく進化し、オフィシャルな場面のみならず、パーソナルな情報操作のメディアとして、市民権を得つつある。*3
 特にここ数年は、インターネットにより、さまざまな情報にアクセスすることがきわめて容易になってきている。また、そこでは、単に情報収集にとどまらず、BBS(電子掲示板)などによって、個人が情報を発信したり、やり取りしたりして、情報を共有することがきわめて容易にできるようになっている。さらに、HTMLを知らなくてもホームページが作成できるソフトが次々と開発されてきて、個人が世界中に情報を発信することもきわめて容易にできるようになってきている。*4
 個人間の通信手段としても、手紙や電話に替わるものとして、電子メールが使われている。このメールにはファイルを添付することができ、長い文書や絵や写真、音楽などを、そしてソフトウェアなども送ることができる。*5
 また、メーリングリストなどを使うと、ちょっとした疑問やわからないことに対しての回答が、すばやく配信されてくる。また、何度でも聞きなおしたり、新しい疑問点などを提起したりできる。*6
 こういった新しいメディアに満ちあふれた高度情報化社会においては、受け手の側による情報に対する主体的な価値づけという行為がなされないと、玉石混交な情報がすべてフラットになってしまうという問題をはじめとするさまざまな問題点をはらんでいる*7。
 しかしながらそれはまた、「市民」の新しい学びのネットワークの可能性をつぎつぎと実現できる社会でもあるのである。*8

 ・メディア・リテラシーとはなにか

 上記のような高度情報化社会の抱えるさまざまな問題に対応するためには、ひとりひとりがメディアに対しての批判的読解能力を身につけることが必要となってくる。また、メディアを通して情報を発信するちからを身につけることが必要となってくる。
 この「メディアに対しての批判的読解能力」および「メディアを通して情報を発信するちから」のことを「メディア・リテラシー」としたい。
 鈴木みどりは、
「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力を指す。
 また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという。」*9
と「能力」と「能力形成」の二つの面から「メディア・リテラシー」の定義をしている。
 メディア・リテラシーは、子どものみならず、大人においても、自己選択・自己決定・自己責任のちからをつけていく上での重要な「道具」である。*10

 ・メディア・リテラシーの内容とその形成の方法

 では、メディア・リテラシーの内容はどのようなものか。
 具体的には以下のようなものから構成されている。
 マスメディア・リテラシー
 パーソナルメディア・リテラシー
 コンピュータ・リテラシー
 インターネット・リテラシー
 メディア・リテラシーを考えるうえで重要な問題が、レン・マスターマンによって「18の基本原則」としてまとめられている。*11
 その中から、ここにかかわるものを抜粋して紹介する。
「1.……[メディア・リテラシーの]中心的課題は多くの人が力をつけ(empowerment)、社会の民主的構造を強化することである。」
「2.メディア・リテラシーの基本概念は、「構成され、コード化された表現(representation)」ということである。メディアは媒介する。メディアは現実を反映しているのではなく、再構成し、提示している。メディアはシンボルや記号のシステムである。」
「4.メディア・リテラシーは単にクリティカルな知力を養うだけでなく、クリティカルな主体性を養うことを目的とする。」
「11.メディア・リテラシーは内省と対話の対象を提供することによって、教える者と教えられる者の関係を変える試みである。」
「12.メディア・リテラシーはその探究を討論によるのではなく、対話によって遂行する。」
「13.メディア・リテラシーの取り組みは、基本的に能動的で参加型である。参加することで、より開かれた民主主義的な教育の開発を促す。学ぶものは自分の学習に責任を持ち、制御し、シラバスの作成に参加し、自らの学習に長期的視野を持つようになる。端的にいえば、メディア・リテラシーは新しいカリキュラムの導入であるとともに、新しい学び方の導入でもある。」
「14.メディア・リテラシーは互いに学びあうことを基本とする。グループを中心とする。個人は競争によって学ぶのではなく、グループ全体の洞察力とリソースによって学ぶことができる。」
「15.メディア・リテラシーは、実践的批判と批判的実践からなる。文化的再生産(reproduction)よりは、文化的批判を重視する」
「16.メディア・リテラシーを支えるのは、弁別的認識論(distinctive epistemology)である。既存の知識は単に教える者により伝えられたり、学ぶ者により「発見」されたりするのではない。それは始まりであり、目的ではない。メディア・リテラシーでは既存の知識はクリティカルな探究と対話の対象であり、この探究と対話から学ぶ者と教える者によって新しい知識が能動的に創り出されるのである。」
 付け加えることはなにもないくらいみごとな整理である。ここからは多くのことを学びとることができるであろう。 

  2 社会科の授業とマルチメディアの活用

 ・社会科の授業の諸類型とそれを止揚する「新しい学習観」にもとづくカリキュラムと授業

 小西正雄によれば、社会科の授業は、すでにあるものを学ばせようとする「従来型」と近未来を志向する「提案型」に分けられるという。そしてこれからは「提案型」が残っていくだろうと主張している。*12
 藤岡信勝も、教師の信念の「構造の強さ」で類型化を試みている。*13
 パウロ・フレイレは、社会科のみには限定されないが、「伝達型」「銀行型」と「対話型」とを提起している。また、レイヴ+ヴェンガーの「正統的周辺参加」につうじるような、「対話型」による社会的実践を通じての「リテラシー」の教育を具体化している。*14
 佐藤学は、「教科中心」型に対して、「ケア(care)と癒し(healing)中心」型の「カリキュラム」を提起している。*15
 ブーバーは、「われ」と「なんじ」との対話型の「教育」を提起している。*16
 これらを通じていえることは、「自分の中にもう一人の自分を置き、そのもう一人の自分と対話できる力をもつこと」*17「社会のことは、社会に参加することを通じて学ばれる」「あたまとからだとこころのケアと癒しとなり、エンパワーメントになるようなカリキュラムと授業をつくっていく」「生徒たちの人間関係や社会関係をくみかえていくような授業をこころみていく」というのが、これからの社会科の授業やカリキュラムにおいても中心的な課題のひとつになってくるということである。

 ・マルチメディア活用の授業形態

 それでは、マルチメディアを活用する授業は、どのような形態をとることになるのだろうか。
 以下、ひとつの類型を示して、それに即して考察したい。
 社会科の「1単元」の授業は、次のような流れをとるものと想定する。
 (1)疑問点を出す。→(2)話し合って全体の課題にする。→(3)課題にかかわる情報を収集する。→(4)収集した情報を吟味する。→(5)全体への提起、話し合い、議論、討論を行う。→(6)課題がどのように解決されたか。残された課題は何か、新たに生じてきた疑問点・課題は何か、確認する。
 このサイクルの中でメディアを活用する場面は、まず(1)においては、疑問点を誘発するような教材が多様なメディアによって提供されるという場面で、(3)においては、インターネットでいろいろなホームページを見る(ネットサーフィン)、テレビ番組、新聞、雑誌、書籍など、メディアから情報を得るという場面で、さらに、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダー、電子メールなどを使っての取材の場面で、(4)においては、得た情報の整理、編集、統計処理、グラフ化などをパソコン等を使って行う場面で、(5)においては、プロジェクションボード*18を使ってのプレゼンテーションの場面で、(6)においては、学習の成果を編集機などを使って作品化するという場面で、などであろう。
 ディベートのような授業形態をとる場合は、上の、(2)の後が(3)’対立する二つのグループとジャッジにわかれて、それぞれがその立場から情報を収集する。ジャッジも判断のために情報収集する。となり、(5)’ディベート本番。→(6)’ジャッジによる判定。ディベートを通じて明らかになったこと、わかったこと、わからなかったことを明らかにする。というかたちになるであろう。メディア活用の場面は、(3)’においては、(3)と同様の場面で、(5)’(6)’においては、(5)(6)と同様の場面で、マルチメディアが活用できるのである。

 ・マルチメディア活用のためのいくつかの課題

 ここにあげたマルチメディア活用の授業形態をとるためには、少なくとも以下のことが必要になってくる。
(1)学校建築を見なおすこと。
 まず第一に必要なことは、学習空間・学習環境の見なおしである。現在ある多くの学校の箱型の閉鎖的な教室・前にある黒板・前向きに座るような机と椅子というようなものにかえて、オープンスペースや、プロジェクションボードや、違ったかたちでの机と椅子の配置(ひとり学びと、グループでの学び、クラス全体での学びがスムーズにいくような、机と椅子。机には、パソコン用の赤外線ポートがある、)など、検討されなければならない。*19
(2)必要な数のメディア機材(パソコン、プロジェクタ、MO、ビデオ、DVD、LD、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダー、編集機など)をそろえること。
 パソコンなら教室に30台とか40台とかではなく、子ども1人に1台必要である。学習効果は1台あたりの人数が増えるにしたがって逓減する。それも、PHSがあらかじめビルドインされており、なおかつ赤外線ポートに対応した軽いノートタイプのパソコンが望ましい。さらにはもっと軽量の、Tipo PlusのようなPDAのほうが安価なのでよいかもしれない。子どもは、教室外でも持ち歩き、宿題も自宅でそのパソコン、PDAの中に入れてくればよいようにする。プロジェクタやビデオ、DVDなどは各教室に1台ずつ必要であるし、衛星放送等が受信できるテレビもあるのが望ましい。
 しかし、このことが難しければ、教科ごとに必要なメディア機材を選定し、教科教室型の学校建築にするという方法もある。*20
 社会科においては、HUB、LAN経由でインターネットにつながっているパソコン、それもできればBTRON*21のパソコンが最低限3人に1台、プロジェクションボード、ビデオ、DVD、LD(これは将来的にはすべてDVDに移行する可能性があるが、いまのところソフトの関係で必要である)、CD−RW、MO、衛星放送の受信できるテレビが教室にあり、フィールドワークや取材、そして「番組」「作品」制作のために、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダー、編集機などがあることが必要である。
(3)学校にサーバを設置し、LANをはる、もしくは、そとのプロバイダに専用線で接続すること。
 パソコンは、ネットにつながっていてはじめてその威力を発揮する。個々のパソコンが学内のネットはもとより、インターネットにつながっていることが絶対に必要である。そして、可能な限りそれは光ファイバ*22でつなぐのが望ましい。
(4)教師および子どもが、とくに教師自身が、メディア・リテラシーを獲得している、もしくは獲得しつつあること。
 上記の3つが、建築、器材というハードの問題であるのに対し、これはそれらのハードをいかに使って「学び」をつくりだしていくのかという、いわばソフトの問題である。これについては本節の前半で議論しているので、もう一度たちもどって考えてみてほしい。
 高度情報化社会においては、社会科教育においても、マルチメディアを活用した教育が必要になってくるのである。

 註

1*1952年ラジオで「君の名は」放送開始。同年ラジオ受信契約1000万台突破。1958年「ミッチーブーム」でテレビ受信契約100万台突破。1962年テレビ受信契約1000万台突破。1969年NHK、FM本放送開始。1971年テレビのカラー契約数がモノクロを追い越す。1975年テレビ広告費が新聞広告費を追い越す。
2*ケイタイ(PHSも含む)がもたらす子ども・青年たちの新しいかかわりの特質と問題点については、中西新太郎「耳元でささやく―ケイタイライフと声の文化―」『季刊 高校のひろば』No.27(1998年春季号)参照。
3*Windows98、MacOS8と、いずれもGUI(Graphical User Interface)が洗練されてきて、使いやすくなっている。文字入力以外は、マウスを使うことで、ほとんどキーボードを触らなくても作業ができるようになってきている。
4*代表的なものとして、Front Page98、Adobe Page Mill、Claris Homepage、Hot All、IBM Homepage Builderなどがある。
5*電子メール用のソフト(メーラー)としては、Becky!、AL‐Mail、Eudora、Eudora Pro、電信八号、Netscape Messenger、Outlook Express 、Post Petなどがある。
6*メーリングリストについては、拙稿「電脳空間における新しい学びのネットワーク」『福島大学生涯学習教育研究センター年報』第3巻、l998年3月、参照。
7*佐伯胖・坂村健・赤木昭夫『コンピュータと子どもの未来』岩波ブックレット、1988、佐伯胖『コンピュータと教育』岩波新書、1986、佐伯胖『新・コンピュータと教育』岩波新書、1997、拙稿「社会科教育におけるコンピュータの使用について」『福島大学教育実践研究紀要』第15号・別冊その2、1989.3、参照。
8*イリッチの提起した「新しい学びのネットワーク」が電脳空間上に形成されれつつあるといえる。イリッチ(東洋・小沢周三訳)『脱学校の社会』東京創元社、1977、参照。
9*鈴木みどり「メディア・リテラシーとは何か」鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社、1997、8頁。
10*山田卓生『私事と自己決定』日本評論社、1987、桜井哲夫『〈自己責任〉とは何か』講談社現代新書、1998、参照。
11*鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社、1997、296-297頁の宮崎寿子・鈴木みとりの訳文による。また、カナダ・オンタリオ州教育省編(FCT(市民のテレビの会)訳)『メディア・リテラシー―マスメディアを読み解く―』リベルタ出版、1992、も参照のこと。
12*小西正雄『提案する社会科―未来志向の教材開発―』明治図書、1994、124-137頁。
13*藤岡信勝『授業づくりの発想』日本書籍、1989、184-209頁。
14*パウロ・フレイレ(小沢有作・楠原彰・柿沼秀雄・伊藤周訳)『被抑圧者の教育学』亜紀書房、1979、同(里見実・楠原彰・桧垣良子訳)『伝達か対話か―関係変革の教育学』亜紀書房、1982、ジーン・レイヴ+エティエンヌ・ウェンガー(佐伯胖訳)『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加―』産業図書、1993、参照。
15*佐藤学「ケアリングと癒しの教育」『生活指導』No.519、1997年11月号、同『学びの身体技法』太郎次郎社、1997、広井良典『ケアを問いなおす―〈深層の時間〉と高齢化社会』ちくま新書、1997、香山リカ『テレビゲームと癒し』岩波書店、1996、リタ・ベネツト(浜崎英一編訳)『心のいやしと解放』生ける水の川、1990、ウルズラ・ヌーバー(丘沢静也訳)『〈傷つきやすい子ども〉という神話―トラウマを超えて―』岩波書店、1997、参照。
16*マルティン・ブーバー(植田重雄訳)『我と汝・対話』岩波文庫、1979。
17*渡辺雅之「キレる(?)現代の中学生とのつき合い方」『わが子は中学生』No.247、1998年7月号、8頁。
18*プロジェクションボードとは、電子黒板と訳される。液晶プロジェクタとちがい、ブラウン管のように裏側から投影するリヤースクリーン方式のものである。
19*学校建築については、鈴木敏恵『マルチメディアで学校革命』小学館、1996、長澤悟「創意あるプランと設計を求めて」武藤義男・井田勝興・長澤悟『やればできる学校革命』日本評論社、1998、長澤悟『ニュースクールデザイン事典』産業調査会、1997、などを参照。
20*長澤悟「創意あるプランと設計を求めて」『前掲書』、参照。
21*BTRON、そしてTRONについては、坂村健『TRONからの発想』岩波書店、1987、同『コンピュータいま何がなぜ?』読売新聞社、1996、同監修『マルチメディア子ども大図鑑』世界文化社、1998、および、
 URL: http://www4.tokyoweb.or.jp/tron/whatst/index.htm、参照。
 TRONとは、かんたんにいってしまえば、「どこでもコンピュータ」、「多文化・多言語コンピュータ」である。
22*プラスチックや石英ガラスを主成分とした、光を伝送するための伝送路。通信コストが低く、銅線の1000倍ともいわれる通信速度を持つ。

 

*拙論の執筆過程で、以下の方々から有益な示唆をいただいた。記して感謝にかえたい。

 鈴木宏昭、坪野和子、渡辺雅之、太田勝造、塩崎義明、折出健二、子安潤、相原総一郎、西内みなみ。


 旧バージョン

第3節 社会科教育とマルチメディアの活用 (6.12改訂版)  改訂個所は、赤字

  1 情報化社会の課題とメディア・リテラシー

・高度情報化社会の問題

 戦後日本は、書籍、新聞、雑誌という紙のメディアが中心であった時代から、ラジオ、テレビ、衛星放送という電波メディア中心の時代に移行してきた。*1

 また、マスメディアだけでなく、パーソナル・メディアの分野においても、手紙から電話へとその中心が移行している。また、電話においても、ポケベル(ポケットベル)、ケイタイ(携帯電話)、ピッチ(PHS)、というようなモバイル性のあるメディアに移行しつつあり、これらは今や多くの若者にとっての必須のアイテムになっている。*2

 また、近年コンピュータも大きく進化し、オフィシャルな場面のみならず、パーソナルな情報操作のメディアとして、市民権を得つつある。*3

 特にここ数年は、インターネットにより、さまざまな情報にアクセスすることがきわめて容易になってきている。また、そこでは、単に情報収集にとどまらず、BBS(電子掲示板)などによって、個人が情報を発信したり、やり取りしたりして、情報を共有することがきわめて容易できるようになっている。さらに、HTMLを知らなくてもホームページが作成できるソフトが次々と開発されてきて、個人が世界中に情報を発信することもきわめて容易にできるようになってきている。*4

 個人間の通信手段としても、手紙や電話に替わるものとして、電子メールが使われている。このメールにはファイルを添付することができ、長い文書や絵や写真、音楽などを、そしてソフトウェアなども送ることができる。*5

 また、メーリングリストなどを使うと、ちょっとした疑問やわからないことに対しての回答が、すばやく配信されてくる。また、何度でも聞きなおしたり、新しい疑問点などを提起したりできる。*6

 こういったニューメディアに満ちあふれた高度情報社会は、受けての側による情報に対する主体的な価値づけという行為がなされないと、玉石混交な情報がすべてフラットになってしまうという問題をはじめとしたさまざまな問題点をはらんでいる*7。しかしながらそれはまた、「市民」の新しい学びのネットワークの可能性をつぎつぎと実現できる社会でもある。*8

 

・メディア・リテラシーとはなにか

 上記のような高度情報化社会の抱えるさまざまな問題に対応するためには、ひとりひとりがメディアに対しての批判的読解能力を身につけることが必要となってくる。また、メディアを通して情報を発信するちからを身につけることが必要となってくる。

 この「メディアに対しての批判的読解能力」および「メディアを通して情報を発信するちから」のことを「メディア・リテラシー」という。

 メディア・リテラシーは、子どものみならず、大人においても、自己選択・自己決定・自己責任のちからをつけていく上での重要な「道具」である。

 鈴木みどりは、「市民がメディアを社会的文脈でクリティカルに分析し、評価し、メディアにアクセスし、多様な形態でコミュニケーションを創りだす力を指す。/また、そのような力の獲得をめざす取り組みもメディア・リテラシーという。」(鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社1997)と「能力」と「能力形成」の二つの面から「メディア・リテラシー」の定義をしている。

 では、メディア・リテラシーの内容はどのようなものか。具体的には以下のようなものから構成されている。

 マスメディア・リテラシー

 パーソナル・メディア・リテラシー

 コンピュータ・リテラシー

 インターネット・リテラシー

 次項にかかわるものもあるが、メディア・リテラシーを考えるうえで重要な問題が、レン・マスターマンによって「18の基本原則」としてまとめられている。

 その中から、ここにかかわるものを抜粋して紹介、解説する。

「1.……その[メディア・リテラシーの]中心的課題は多くの人が力をつけ(empowerment)、社会の民主的構造を強化することである。」

「2. 

 

・メディア・リテラシー形成の方法

 それでは、前述のようなメディア・リテラシーを形成していく方法はどういったものだろうか。 

 ここでも、マスターマンの「18の基本原則」を使っていく。

 

  2 社会科の授業とマルチメディアの活用

・社会科の授業の諸類型

 

・マルチメディア活用の授業形態

 @疑問点を出す。→A話し合って全体の課題にする。→B課題にかかわる情報を収集する。→C収集した情報を吟味する。→D全体への提起、話し合い、議論、討論を行う。→E課題がどのように解決されたか。残された課題は何か、新たに生じてきた疑問点・課題は何か、確認する。

 というサイクルの授業を想定してみると、メディアを活用する場面は、まず@においては、疑問点を誘発するような教材が多様なメディアによって提供されるという場面で、Bにおいては、インターネットでいろいろなホームページを見る(ネットサーフィン)、テレビ番組、新聞、雑誌、書籍など、メディアから情報を得るという場面で、さらに、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダー、電子メールなどを使っての取材の場面で、Cにおいては、得た情報の整理、編集、統計処理、グラフ化などをパソコン等を使って行う場面で、Dにおいては、プロジェクションボードを使ってのプレゼンテーションの場面で、Eにおいては、学習の成果を作品化するという場面でなどであろう。

 ディベートのような授業形態を取る場合は、上の、Aの後がB’対立する二つのグループとジャッジにわかれて、それぞれがその立場から情報を収集する。ジャッジも判断のために情報収集する。となり、D’ディベート本番。→E’ジャッジによる判定。ディベートを通じて明らかになったこと、わかったこと、わからなかったことを明らかにする。というかたちになるであろう。メディア活用の場面は、B’においては、Bと同様の場面で、D’E’においては、DEと同様の場面で、マルチメディアが活用できるのである。

 

・マルチメディア活用のためのいくつかの課題

 ここにあげたマルチメディア活用の授業形態を取るためには、少なくとも以下のことが必要になってくる。

@学校建築を見なおすこと。

 まず第一に必要なことは、学習空間・学習環境の見なおしである。現在ある多くの学校の箱型の閉鎖的な教室・前にある黒板・前向きに座るような机と椅子というようなものにかえて、オープンスペースや、プロジェクションボードや、違ったかたちでの机と椅子の配置(ひとり学びと、グループでの学び、クラス全体での学びがスムーズにいくような、机と椅子。机には、パソコン用の赤外線ポートがある、)など、検討されなければならない。a*

A必要な数のメディア機材(パソコン、プロジェクタ、ビデオ、DVD、LD、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダーなど)をそろえること。

 パソコンなら教室に30台とか40台とかではなく、子ども1人に1台必要である。学習効果は1台あたりの人数が増えるにしたがって逓減する。それも、PHSがあらかじめビルドインされており、なおかつ赤外線ポートに対応した軽いノートタイプのパソコンが望ましい。子どもは、教室外でも持ち歩き、宿題も自宅でそのパソコンの中に入れてくればよいようにする。プロジェクタやビデオ、DVDなどは各教室に1台ずつ必要であるし、衛星放送等が受信できるテレビもあるのが望ましい。

 しかし、このことが難しければ、教科ごとに必要なメディア機材を選定し、教科教室型の学校建築にするという方法もある。b*

 社会科においては、最低限3人に1台のインターネットにつながっているパソコン、BTRONc*のパソコン、プロジェクションボード、ビデオ、DVD、LD(これは将来的にはすべてDVDに移行する可能性があるが、いまのところソフトの関係で必要である)、衛星放送の受信できるテレビが教室にあり、フィールドワークや取材、そして「番組」「作品」制作のために、8ミリビデオカメラ、デジタルカメラ、カセットテープレコーダー、MDレコーダーなどがあることが必要である。

B学校にサーバを設置し、LANをはる、もしくは、そとのプロバイダに専用線で接続すること。

 パソコンは、ネットにつながっていてはじめてその威力を発揮する。個々のパソコンが学内のネットはもとより、インターネットにつながっていることが絶対に必要である。そして、可能な限りそれは光ファイバーケープルd*でつなぐのが望ましい。

C教師および子どもが、メディア・リテラシーを獲得している、もしくは獲得しつつあること。

 上記の3つが、建築、器材というハードの問題であるのに対し、これはそれらのハードをいかに使って「学び」をつくりだしていくのかという、いわばソフトの問題である。

 

 

1*1952年ラジオで「君の名は」放送開始。同年ラジオ受信契約1000万台突破。1958年「ミッチーブーム」でテレビ受信契約100万台突破。1962年テレビ受信契約1000万台突破。1969年NHK、FM本放送開始。1971年テレビのカラー契約数がモノクロを追い越す。1975年テレビ広告費が新聞広告費を追い越す。

2*ケイタイ(PHSも含む)がもたらす子ども・青年たちの新しいかかわりの特質と問題点については、中西新太郎「耳元でささやく―ケイタイライフと声の文化―」『季刊 高校のひろば』No.27(1998年春季号)参照。

3*Windows98、MacOS8と、いずれもGUI(Graphical User Interface)が洗練されてきて、使いやすくなっている。文字入力以外は、マウスを使うことで、ほとんどキーボードを触らなくても作業ができるようになってきている。

4*代表的なものとして、Front Page98、Adobe Page Mill、Claris Homepage、Hot All、IBM Homepage Builderなどがある。

5*電子メール用のソフト(メーラー)としては、Becky!、AL‐Mail、Eudora、Eudora Pro、電信八号、Netscape Messenger、Outlook Express 、Post Petなどがある。

6*メーリングリストについては、拙稿「電脳空間における新しい学びのネットワーク」『福島大学生涯学習教育研究センター年報』第3巻、l998年3月、参照。

7*佐伯胖・坂村健・赤木昭夫『コンピュータと子どもの未来』岩波ブックレット、1988、佐伯胖『コンピュータと教育』岩波新書、1986、佐伯胖『新・コンピュータと教育』岩波新書、1997、拙稿「社会科教育におけるコンピュータの使用について」『福島大学教育実践研究紀要』第15号・別冊その2、1989.3、参照。

8*イリイチの提起した「新しい学びのネットワーク」が電脳空間上に形成されれつつあるといえる。

 

a*学校建築については、鈴木敏恵『マルチメディアで学校革命』小学館、1996、長澤悟「創意あるプランと設計を求めて」武藤義男・井田勝興・長澤悟『やればできる学校革命』日本評論社、1998、長澤悟『ニュースクールデザイン事典』産業調査会、1997、などを参照。

b*長澤悟「創意あるプランと設計を求めて」『前掲書』、参照。

c*BTRON、そしてTRONについては、坂村健『TRONからの発想』岩波書店、1987、同『コンピュータいま何がなぜ?』読売新聞社、1996、同監修『マルチメディア子ども大図鑑』世界文化社、1998、および、

 http://www4.tokyoweb.or.jp/tron/whatst/index.htm、参照。

d*プラスチックや石英ガラスを主成分とした、光を伝送するための伝送路。通信コストが低く、銅線の1000倍ともいわれる通信速度を持つ。

 

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