〈自宅にやっとデスクトップのパソコンが入りました〉
昨年からずっとほしいと思っていたデスクトップのパソコンがようやく届きました。この「みだれ打ち」は、そのパソコンでの第一号です。機種は、NecのPc9821V20/S7C3に、プリンターは富士通のXJ−500です。17インチのモニターは、見やすく綺麗です。CPUは、pentium200MHz(ほんとうはpentium proの200MHzかMMXのものがほしかったのですが、懐具合がよろしくないのでこれにしました)、キャッシュメモリ16Kバイト、二次キャッシュメモリ256Kバイト、RAMは32Mバイト、ハードディスクは2.0Gバイトとコストパフォーマンスの高い機種です。
しかしながら、まだよく使いこなせないのです。
まず、プリンターが応答してくれません。
従って、印刷できないのです(2.15)。
……………
やっとプリンターが動いてくれました。院生の熊沢勇紀君が、格闘してくれた、その成果なのです。おかげでこのように使えるようになったのです。感謝、感謝。
〈紡木たくのマンガに描かれている学校像について〉
いまから8年前にみだれ打ち子が「一般教育ゼミ」を担当したとき、何人かの女子学生が「読んで印象に残っている本」に紡木たくの「ホットロード」をあげていました。
もちろん高校生男女の恋愛が中心的なテーマなんですが、そこでの舞台として描かれている学校は、庄司陽子の「生徒諸君」などとはちがったものとして描写されています。
そこで、紡木たくのコミックス全巻を読んで分析したいと思っています。
ちなみに、コミックス全巻とは、
『あの夏が海にいる』集英社マーガレットコミックス 878
『やさしい手を、もってる』集英社マーガレットコミックス 1065
『みんなで卒業をうたおう』集英社マーガレットコミックス 1146
『机をステージに』集英社マーガレットコミックス 1166
『ホットロード(1)』集英社マーガレットコミックス 1235
『ホットロード(2)』集英社マーガレットコミックス 1244
『ホットロード(3)』集英社マーガレットコミックス 1279
『ホットロード(4)』集英社マーガレットコミックス 1304
『瞬きもせず』集英社マーガレットコミックス 1384
『瞬きもせず(2)』集英社マーガレットコミックス 1499
『瞬きもせず(3)』集英社マーガレットコミックス 1530
『瞬きもせず(4)』集英社マーガレットコミックス 1578
『瞬きもせず(5)』集英社マーガレットコミックス 1623
『瞬きもせず(6)』集英社マーガレットコミックス 1661
『瞬きもせず(7)』集英社マーガレットコミックス 1688
『純−JUN−』集英社マーガレットコミックス 1803
の、16点です。もし、遺漏があったらご教示ください。
ここに描かれている学校とは、登場人物たちにとってどのような意味があるものとされているのでしょうか。また、どういったところが、登場人物たちの居場所になっているのでしょうか。さらに、なにが、女子学生たちの共感をよんでいたのでしょうか。
〈いま、読もうと思って入手した本のリスト〉(*は、読み終えたもの)
・見田宗介『現代社会の理論』岩波新書
*小林信彦『現代<死語>ノート』岩波新書
・高谷好一『多文明世界の構図』中公新書
・高橋伸彰『数字に問う日本の豊かさ』中公新書
・鶴田俊正『規制緩和』ちくま新書
・吉永良正『「複雑系」とは何か』講談社現代新書
*脇英世『Windows入門』岩波新書
・木下怐『ソフトウェアの法則』中公新書
・諏訪邦夫『キーボード革命』中公新書
*大平健『やさしさの精神病理』岩波新書
・栗原彬『<やさしさ>の闘い』新曜社
*家永三郎監修『教科書から消せない戦争の真実』教科書検定訴訟を支援する全国連絡会
*高野文子『るきさん』ちくま文庫
*吾妻ひでお『吾妻ひでお童話集』ちくま文庫
*平田弘史『名刀流転・落城の譜』ちくま文庫
*畑中純『私の村』ちくま文庫
*吉田秋生『増補ハナコ月記』ちくま文庫
*夏目房之介『男女のしかた』ちくま文庫
・小河原誠『読み書きの技法』ちくま新書
*香山リカ『ココロのクスリ』ちくま文庫
*大谷晃一『大阪学』新潮文庫
・ジョン・マクミラン『経営戦略のゲーム理論』有斐閣
・青木昌彦、奥野昌寛編著『経済システムの比較制度分析』東京大学出版会
・トリン・T・ミンハ『女性・ネイティヴ・他者』岩波書店
・G・ジョーンズ、C・ウォーレス『若者はなぜ大人になれないのか』新評論
・鈴木宏昭『類似と思考』共立出版
・外山英昭・田所恭介・満川尚美編『「教え」から「学び」への授業づくり(4)社会科』
大月書店
*このうち何冊読めるでしょうか。
〈10ヶ月ぶりのみだれ打ちです〉
9月末にやっと研究室にパソコンが入りました。ずーっと、ずーーっと、ずーーーっと前から頼んでたのがやっときたのです。
FMV DESKPOWER UVTという、生協の特別仕様のもので、CPUは、pentiumではなくAMD-K6で、166MHなのですが自宅のpentium200MHとほとんど変わらない速さです。メモリは64MB、HDはちょっと小さくて1.6GB、それでSCSIボードを組み込んで、MOドライブをつなぎました。
そんなこんなでけっこう面白いやつで、自宅のものより使い勝手がいいのです。
さっそく「クラリスホームページ」と「Adobe Page Mill」を手に入れて、「西内研究室のホームページ」と「西内さんちのもののけ新聞インターネット版」をつくりはじめました。
そんでもって、とりあえず「しょーもない」バージョンをつくり、アップしようとしたのですが、やり方がわからないのです。どっちのソフトにもアップロードする機能が付いているのですが、その使い方がわからない。
「FTP?なんやそれ?」「サイトマップ?」「リモートディレクトリ?ん?」・・・こんな感じです。
いろいろやってるうちに少しずつわかってきました。
それで、これをアップしてるというわけなのです。
〈原稿書きのこと、あれこれ〉
2月以降、いくつかの原稿書きの依頼がきました。
まずは『生活指導』誌97年9月号に【読書案内】「いじめ、学び、インターネット、テレビゲーム」(上)を、『同』誌10月号に「同」(下)を書きました。これはちょっと枚数が足りませんでした。
次に『生活指導』誌97年8月臨時増刊号に「学校文化と大衆文化」を書きました。やっぱり枚数不足でした。
それから『生活指導』誌98年2月号用に【書評】を書いて、『同』誌98年4月号用にも【書評】を書くことになっています。
これらは近いうちに「西内研究室のホームページ」にアップしますので、そちらでご覧ください。
〈いま、読もうと思って入手した本のリスト〉(*は、読み終えたもの)
[教育・教育学篇]
*藤岡信勝『汚辱の近現代史』徳間書店
・藤田英典、田中孝彦、寺崎弘昭『教育学入門』東京大学出版会
*苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』中公新書
*ポール・ウィリス『ハマクータウンの野郎ども』ちくま学芸文庫
・天野郁夫編『教育への問い』東京大学出版会
・平湯真人編『家庭の崩壊と子どもたち』明石書店
・アンディ・クラーク『認知の微視的構造』産業図書
*堀尾輝久、久冨善之ほか『学校文化という磁場』柏書房
・沼田裕之、増渕幸男編著『<問い>としての教育学』福村出版
・今谷順重編著『横断的・総合的な学習とクロスカリキュラム』黎明書房
・斎藤茂男編『子どもの世間』小学館
・M&Lプロジェクト『私の人生をつくる本』NTTメディアスコープ
・酒井邦嘉『心にいどむ認知脳科学』岩波書店
・水内宏、小川修一編『小学校「教え」から「学び」の授業づくり(6)生活科』大月書店
・日本教育方法学会編『戦後50年 いま学校を問い直す』明治図書
・森英樹『新版 主権者はきみだ』岩波ジュニア新書
*西尾幹二、藤岡信勝『国民の油断』PHP研究所
*箕浦康子『地球市民を育てる教育』岩波書店
*マイケル.W.アップル、長尾彰夫、池田寛編『学校文化への挑戦』東信堂
*長尾彰夫、池田寛編『学校文化』東信堂
・藤岡信勝、自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史2』扶桑社
・梅田欽時治、佐藤伸雄編『いま学びたい近現代史』教育史料出版会
(続く)
〈いま、読もうと思って入手した本のリスト〉(*は、読み終えたもの)
[教育・教育学篇](続き)
・井上健治・久保ゆかり編『子どもの社会的発達』東京大学出版会
*見田宗介・河合隼雄・谷川俊太郎『子どもと大人』岩波書店
・大田堯『子どもの権利条約を読み解く』岩波書店
*AERA MOOK『教育学がわかる』朝日新聞社
・加藤幸次編『総合学習の実践』黎明書房
・笠原嘉『新精神科医のノート』みすず書房
*小林よしのり『新ゴーマニズム宣言 3』小学館
*中村政則『近現代史をどう見るか(司馬史観を問う)』岩波ブックレット
*河合隼雄『子どもと悪』岩波書店
*中村桂子『科学技術時代の子どもたち』岩波書店
*佐伯ゆたか(月半←こういう字です)『新・コンピュータと教育』岩波新書
*アジア女性問題資料センター編『「慰安婦」問題Q&A』明石書店
*庄井良信『学びのファンタジア』渓水社
*奈良歴史研究会編『戦後歴史学と「自由主義史観」』青木書店
*鈴木みどり編『メディア・リテラシーを学ぶ人のために』世界思想社
・中西新太郎編『子どもたちのサブカルチャー大研究』労働旬報社
・竹中輝(←日へんです)雄、中山征一、宮野安治、徳永正直『時代と向き合う教育学』ナカニシヤ出版
・熊沢誠『能力主義と企業社会』岩波新書
*藤田英典『教育改革』岩波新書
*永野重史『子どもの学力とは何か』岩波書店
・横川和夫『大切な忘れもの−自立への助走−』共同通信社
*佐伯ゆたか『子どもが熱くなるもう一つの教室』岩波書店
*吉見義明・川田文子編著『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店
・新しい歴史教科書をつくる会編『新しい日本の歴史が始まる』幻冬舎
・ダニエル・グリーンバーグ『「超」学校』一光社
・カナダ・オンタリオ州教育省編『メディア・リテラシー』リベルタ出版
*村瀬学『子どもの笑いは変わったのか』岩波書店
*森下みさ子『おもちゃ革命』岩波書店
*脇浜義明『ボクシングに賭ける』岩波書店
*宇佐美寛・池田久美子『「近現代史の授業改革」批判』黎明書房
・つかこうへい監修『高校生のための実践演劇講座 第1巻 ストレッチ・発声篇』白水社
*三宅なほみ『インターネットの子どもたち』岩波書店
・家長知史『世界史映画教室』岩波ジュニア新書
・ディヴィット・ヒックス、ミリアム・スタイナー編『地球市民教育のすすめかた』明石書店
・関広(←日廣こういう字です)野『歴史の学び方について』窓社
・森田洋司『「不登校」現象の社会学』学文社
・歴教協編『歴史教育・社会科教育年報1997年』三省堂
・藤野豊編『教室から「自由主義史観」を批判する』かもがわ出版
*俵義文『教科書攻撃の深層』学習の友社
・久保井規夫『教科書から消せない歴史』明石書店
*俵義文『ドキュメント「慰安婦」問題と教科書攻撃』高文研
*堀尾輝久『現代社会と教育』岩波新書
*中沢新一『ポケットの中の野生』岩波書店
・横湯園子『いじめ、不登校、暴力・・・』岩波ブックレット
*天野恵一編著『「自由主義史観」を解読する』社会評論社
・全生研・女子問題研究委員会編著『「女子の問題行動」をどう指導するか』明治図書
*安彦忠彦『中学校カリキュラムの独自性と構成原理』明治図書
・藤岡信勝『「自虐史観」の病理』文藝春秋
・岩波書店編集部編『教育をどうする』岩波書店
*上杉聡『脱ゴーマニズム宣言』東方出版
*石出法太、金富子、林博史『「日本軍慰安婦」をどう教えるか』梨の木舎
*斎藤次郎、三宅なほみ、森毅『電脳教育論』日本ソフトバンク
・藤岡信勝、自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史 3』扶桑社
・藤岡信勝、自由主義史観研究会『教科書が教えない歴史 4』扶桑社
・佐藤学『教師というアポリア』世織書房
・山住勝広、上野たかね、手取義宏、馬場勝『学びのポリフォニー』学文社
・中野光、川口幸宏、行田稔彦編『生活科教育』学文社
*千石保『「モラル」の復権』サイマル出版会
・寺本潔ほか『地理の教え方』古今書院
・桜井哲夫『不良少年』ちくま新書
・ピーター・フランクル『ピーター流らくらく学習術』岩波ジュニア新書
・西澤哲『子どものトラウマ』講談社現代新書
*部落問題研究所編『「自由主義史観」の本質』部落問題研究所
*こどもニュースプロジェクト編『小学生の大疑問100』講談社
・池本洋一ほか『教育現場のパソコン活用法』理工学社
・藤岡信勝『自由主義史観とは何か』PHP文庫
・藤岡信勝編著『侵略か自衛か「大東亜戦争」白熱のディベート』徳間文庫
長くなってしまいました。ここまでが、11月までの分です。
〈いま、読もうと思って入手した本のリスト〉(*は、読み終えたもの)
[山田風太郎篇]
*『室町お伽草紙』新潮文庫
*『妖説忠臣蔵』集英社文庫
*『白波五人帖』集英社文庫
*『怪異投込寺』集英社文庫
*『秀吉妖話帖』集英社文庫
*『コレデオシマイ』角川春樹事務所
*『婆沙羅』講談社文庫
*『極悪人』双葉社
*『厨子家の悪霊』ハルキ文庫
*『おれは不知火』河出文庫
*『風眼抄』中公文庫
*『あと千回の晩飯』朝日新聞社
*『跫音』角川文庫
*『死言状』富士見書房
*関川夏央『戦中派天才老人山田風太郎』マガジンハウス
*『忍者枯葉塔九郎』講談社大衆文学館
*『黒衣の聖母』ハルキ文庫
*『奇想小説集』講談社大衆文学館
*『長脇差枯野抄』廣済堂文庫
*『男性滅亡』ハルキ文庫
*『奇想ミステリ集』講談社大衆文学館
・『みささぎ盗賊』ハルキ文庫
*『風来酔夢談』富士見書房
・『剣鬼と遊女』廣済堂文庫
・『死なない剣豪』廣済堂文庫
・『天国荘奇たん(←言西早こういう字です)』廣済堂文庫
・『青春探偵団』廣済堂文庫
・『怪談部屋』出版芸術社
・『帰去来殺人事件』出版芸術社
[筒井康隆篇]
*『パプリカ』中公文庫
*『笑犬楼よりの眺望』新潮文庫
*『幾たびもDIARY』中公文庫
*『家族場面』新潮文庫
〈いま、読もうと思って入手した本のリスト〉(*は、読み終えたもの)
[清水義範篇]
*『発言者たち』文春文庫
*『戦時下動物活用法』新潮文庫
*『パスティーシュと透明人間』新潮文庫
*『世界衣裳盛衰史』角川文庫
*『まちまちな街々』角川文庫
*『袖すりあうも他生の縁』角川文庫
*『陽のあたらない坂道』新潮文庫
*『似ッ非イ教室』講談社文庫
*『人生うろうろ』中公文庫
*『黄昏のカーニバル』徳間文庫
*『バスが来ない』徳間文庫
*『大探検記』集英社文庫
*『普及版世界文学全集 第1期』集英社文庫
*『普及版世界文学全集 第2期』集英社文庫
*『普及版日本文学全集 第1集』集英社文庫
*『普及版日本文学全集 第2集』集英社文庫
*『日本語がもっと面白くなるパズルの本』光文社文庫
*『日本ジジババ列伝』中公文庫
・『催眠術師』福武文庫
<なんだか本屋さんの在庫リストみたいになってしまいました>
前回までの本のリストは実に不評でした。
そこで今回は、ちょっとまじめな教育実践の話です。
みだれ打ち子は、今年でちょうど10年、大学での授業をしてきました。にもかかわらず、ちゃんとした実践記録を書いたことがなかったのです。それで、こんど、福島大学の実践センターの紀要に初等社会科教育法の実践記録を書くことにしました。
いつも、小・中・高校の先生、養護学校の先生とかに実践記録を書け書けっていってるので、自分でも一回ちゃんと書かないとと思ったのです。
不完全なものは、『授業づくりネットワーク』誌に一度書いたことがあります。
1992年の11月号です。タイトルは、「教育学部西内教官 第3講 実践記録を「読む」」です。
これは、初等社会科教育法の前半の一コマの様子を実況中継風に書いたもので、まずまず好評だったかなと思ってます。
こんどのは発表媒体との関係で、もうすこし堅苦しくなるかもしれません。でも、うんとわかりやすいものにしたいと思っています。ご期待ください。
<いわゆる「自由主義史観」の問題について>
これについては言いたいことが山ほどありますが、とりあえず一点だけ。
やっぱ、教育実践の場で、決着つけるしかないでしょうね。
金沢大学の村井淳志さんも近著の『歴史認識と授業改革』で書いていますが、やっぱりカリキュラムの問題、授業そのものの問題に返していかないとあんまり生産的ではないですね。
だた、村井さんの「教育内容」のとらえ方は、みだれれ打ち子とはちょっと違ってて、「教科内容」と同義のもののようですが。
このような「教育内容」観では、カリキュラムや教育実践のうちの「教科内容的側面」しか視野に入ってこなくなってしまう恐れがあります。
みだれ打ち子は、もっと拡張された概念として「教育内容」というものを把握しています。「カリキュラム」についても、単なる「教育課程」ではないものとしてとらえています。
そこには、形式陶冶の要素や、訓育的側面も含めます。また、「コミュニケーション過程としての授業」という問題や、庄井良信さんのいう「学びのポリフォニー」の問題とかも含まれてきます。
おっと。仕事に行く時間です。続きは次号で。
<前回の続きです>
前回は、ようやく調子が出てきたところで終わってしまいました。
村井さんのものは、生活指導のとらえ方にも問題があります。吉田和子実践を読んでいく場合、彼女の高校生活指導での豊かな実践を視野に入れていなければならないはずです。しかし、無視している。「生活指導」的に、やるのではなく、という一言で片づけている。
これは、よくないですぅ。
せっかく佐藤学さんところで内地研究しているのだったら、「カリキュラム」についても、もう少し勉強する必要があるように思います。
とにかく村井さんは、われわれの世代のトップランナーなのですから、転ばないように走ってくださいね。よろしく。
短いですが、このつぎもいろいろ書きますので。
<前回の続きです>
みだれ打ち子は、『授業づくりネットワーク』誌の吉永潤氏の論文にも、勉強不足であると注文をつけました。
内容的な問題点はすでに明らかにされてしまっている片岡徳雄氏の本(『集団主義教育の批判』1975年)を使って全生研の集団づくりに注文を付けるなんて、勉強不足丸出しの論文を書いています。
また、千石保氏の本についても、旧著の『「まじめ」の崩壊』を挙げるだけで最近書かれた『「モラル」の復権』についてはふれてもいない・・・たぶん読んでないのでしょう。
あと、同じ号(98年1月号)の森脇健夫氏の「授業論壇時評」についても、その「時評」性と「論壇」性について注文を付けたのです。
これらは、読者からのはがきとして編集部に行きますが、どのような対応がなされるのか、ちょっとしたみものです。
<部屋の中が本とCDロムでめちゃくちゃです>
連休に少し部屋を片づけようと思っていたのですが、片づけられませんでした。
半年分ぐらいの新着図書と、雑誌とかについてきたり、送られてきたりするCDロムで部屋の中がごちゃごちゃになっています。雑誌『生活指導』『高校生活指導』『ジュ・パンス』『授業づくりネットワーク』『教育』『噂の眞相』『日録20世紀』『たくさんのふしぎ』『コミックトムプラス』とかが、あちこちにバラバラになっています。
本も、しかり。買ったはずの本が見つからない、どの山の下なのかわからない。誰かに貸したのだけれど、誰に貸したのかわからない・・・などなど。
一度きれいに部屋を片づけなければならないと思うのですが、思うばっかりでなかなか。
そんな中で、マンガ『みどりのマキバオー』(つの丸)だけは、1巻から15巻まで一気に読んでしまった。藤崎竜の『封神演義』に比べて、じつにわかりやすいマンガだった。
カスケードとの対決が一番の見所で、カスケードが引退した後はおもしろさが半減してしまった。ドバイでのワールドカップというアイデアはおもしろいけど、中身はいまいちという感じ。
第1部だけでやめておいてもよかったと思う。
あと、竹内常一『子どもの自分くずし、その後』太郎次郎社も、本がきたときに一気に読んでしまった。ちょっと難しいところもあったが、「からだ」と「こころ」の問題、鍛錬、姿勢などの問題はきわめて示唆に富んでいるように思う。
ちょっとおもしろそうなのが、葛岡雄治編『CDブック 群読がいっぱい−授業・集会行事に生かす』あゆみ出版である。おおきなかぶ・かたつむり・すいみー・きつねのおきゃくさま・おがわのマーチ・さんねん峠・春のうた+勝手なコーラス・宇宙人のしゅくだい・せんこう花火・まわれ!まわせ!ピストン、クランク・お祭り・扇の的(「平家物語」より)・真の勇者(「走れメロス」より)・平泉(「奥の細道」より)の14の群読の台本と、録音がセットになっている。
これはいろいろなところで使えそうだ。
あと、おもしろそうなのが、柳下換『インターネットハイスクール「風」−不登校も問題にしない新しい教育のかたち』ダイヤモンド社、である。日本で初めてのインターネットによる高校課程のホームスクーリング・プログラムで、そこには従来の学校のような決まったカリキュラムはなく、生徒自身が自主的に毎月のカリキュラムを決めて、自由に学習を進めていくものだそうだ。
生活の中で学びたいテーマを見つけ、自分なりのオリジナル科目にすることができ、プログラムを修了すると、アメリカ合衆国ミシガン州公認の私立クロンララ校の高校卒業資格を取得することができるということだ。
これは、画期的なことだと思う。まだ全部読んでないので、その内容については次回に。
<最近おこなったニフティの会議室への書き込みです>
最近、乱れ打ち子は、ニフティにはまっています。そこでの発言の一つを紹介します。
フォーラムは、FKYOUIKUS、会議室は「授業づくりの部屋」です。
04095/04095 EZY07731 西内 裕一 RE^3:「自由主義史観研究会」と授業づくり
(16) 98/05/22 04:45 03942へのコメント
藤川さん、左巻さん、山崎さん、小出さん、そしてその他の会議室のみなさん。
西内です。ウルトラ亀レスです。
> 『諸君』3月号、私も読みました。私の知識ではこの議論が妥当かどうかはわ
>からないので、どなたか詳しい方の意見を聞いてみたいものです。
この点については、04092に書きました。
−−−−−−−−−−−−−−−04902−−−−−−−−−−−−−−−−−−
山崎さんと藤川さんとの間でやりとりのあったこと、思い出して、図書館に行
って、『諸君』の3月号谷沢「論文」、4月号藤岡「論文」、5月号谷沢「論
文」、6月号藤岡「論文」と読んでみました。
いやはや何ともすさまじいものです。谷沢さんの「批判」(これは「比較的」
冷静なものです)に対して、藤岡さんは、「反論」しているのですが、実に感情
的になり、「口汚く」罵っています。
(中略)
確かに、相手の「言動」「書いたもの」の矛盾をつくというのは、反論の正当
なやり方ですが、それにかこつけて、「人格攻撃」をするのはいただけません。
議論の上での一定の正当性は藤岡さんにもあるのですが、「人格攻撃」「口汚く
罵る」という点で、多くの人の反感を買うでしょう。相対的には谷沢さんの方が
「大人」ですね。また、意図的な「論点ずらし」もしくは無意図的な「論点のず
れ」があります。意図的であれば「不誠実」ですし、無意図的であれば「能力不
足」ですね。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
> 『道徳授業を楽しく』でしたっけ、最新号で藤岡信勝さんが宇佐美寛さんに対
>する反批判を書いておられますが、宇佐美さんの一連の批判に対しては基本的に
>答える必要がないと考えておられるとありました。なぜ答える必要がないのか、
>私にはわかりませんでした。答えてほしいものです。
この部分は、正確にはこうです。『道徳授業を楽しく』Y11(1998.2.20)
「宇佐美氏は、共著の形で私の「近現代史の授業改革」運動に対する批判を発表
している。その内容は反論するに値しないものて゜あるという点で、多くの私の
友人とまったく同じ判断に私は立っている。」
その前には、「近現代史の授業改革運動を提唱しはじめてから、教育界の内外
を問わず、私への個人攻撃を含む批判・中傷が数限りなく行われてきた。そのほ
とんどは、私の提起した問題を曲解した上での批判か、ことがらの内容にふみ込
まない雑音にすぎないものである。」というふうに書いているところから判断す
ると、宇佐美・池田両氏の本は、藤岡さんに対する「曲解した上での批判」もし
くは「雑音」であると判断しているということになります。
この判断の正当性を示すためには、根拠が必要です。少なくともその一部を正
確に引用し、「曲解」もしくは「雑音」であることを論証しなければなりません。
それは、議論する場合のモラルであり、ルールであるからです。
さらにこの論文では、Y6で藤岡さんが「戦争は「人殺し」ではない」とした
のにことに対し、Y8で宇佐美さんが「いや、戦争はやはり「人殺し」である」
と批判したこと、そのことへの反批判のかたちをとって書かれています。
「宇佐美氏には戦争における人間の死を、武装した兵士どうしが戦って起る戦
死と、非武装の民間人を殺す、戦時国際法違反の戦争犯罪とに区別する視点がな
い」と藤岡さんはいい、前者は「人殺し」ではなく、後者は「刑法上の殺人とパ
ラレル」すなわち「殺人=人殺し」であるとしています。
また、宇佐美さんの「人殺しでない戦争などない。[藤岡]氏はそのような奇
怪な『戦争』の実例を挙げるべきなのである。」というのに対して、藤岡さんは
「近い将来大いにありうる話」を〈ケース1〉としてあげています。これに対し
て、宇佐美さんはY12で、「自分の無理な主張に都合がいいように無理に想像し
て作り上げた「ケース」は、絶対に実例ではない。」と反論しています。
どちらの論理が正しいでしょうか。
さらに藤岡さんは、「〈ケース1〉は誰しも「戦争」とよぶことにためらいを
持たないだろう。だから、これは、宇佐美氏の「人殺しではない戦争など無い」
という主張への明確な反証例となる。反証例が一つでもあれば、この命題は崩壊
する。「殺人は『戦争』の必然的な属性である」などとはいえないわけだ。」と
言っていますが、それに対して宇佐美さんは「存在しない空想例は反証例にはな
り得ない。これを「戦争」と呼ぶのには「誰しも……ためらいを持つ」はずであ
る。(想像の産物が証拠になるはずがない。)自分の空想でつくった産物の効果
について(中略)、さらに空想を重ねたわけである。まことに自閉的な論法であ
る。」としています。
また、藤岡さんは、「武力行使は(宇佐美氏流の意味での)「人殺し」とイコ
ールではない。〈ケース1〉を見れば明らかである。なぜ両者がイコールでない
かを理解するカギは「武力行使」の目的にある。「武力行使」は多くの場合「人
殺し」を伴うとはいえ、決して「人殺し」を目的にして行われるのではない。で
は、何を目的にするのか。相手に自分の意志を強制することを目的にするのであ
る。」このようにいっていますが、ここでも〈ケース1〉を論拠にすることはで
きませんし、戦争の目的が「人殺し」ではないから「人殺し」を伴っても、「戦
争は「人殺し」ではないというのは、ちょっと理解できません。この論理でいく
と、「東京大空襲」「広島・長崎の原爆投下」など、「国際法違反の大量殺人」
(藤岡さんの言葉)も、「全住民を恐怖に陥れることによって意思を強制する方
法」であって「人殺し」を自己目的としたものでないので「人殺し」ではないと
いうことになります。現に藤岡さんもそういうふうに議論を展開しています。
そうすると、前で論じた「宇佐美氏には戦争における人間の死を、武装した兵
士どうしが戦って起る戦死と、非武装の民間人を殺す、戦時国際法違反の戦争犯
罪とに区別する視点がない」といい、前者は「人殺し」ではなく、後者は「刑法
上の殺人とパラレル」すなわち「殺人=人殺し」であるとしたことと、矛盾する
ことになりませんか。
また、Y12の宇佐美さんによれば、藤岡さんの「戦時国際法のルールのもとに
なされた戦闘の結果、一方の側に大量の戦死者が出てもそれは「人殺し」として
道徳的非難をあびせるべき出来事ではないのである。このことは、戦闘によって
相手国の兵士を殺しても、刑法上の「殺人罪」に問われないことからもわかる。」
というのをさして、「べらぼうな非論理である」とする。それは「合法的であっ
たら道徳的非難はするなという押しつけである」からである。「法律には法律の
領域で容認しうる基準が書かれているにすぎない。この基準に合致するというこ
とは、他領域でもそれが容認されるか否かとはまったく別の話である。」
このあたりは、藤岡さんの議論の方が論理的でないことは明白です。
私自身も法学部の出身なので、「法」「法律」と「道徳」の違いをその「規範
性」とか「サンクションの態様」とか、いろいろな観点から学習した覚えがあり
ます。
「法律」と「道徳」とを混同すると、司法は混乱してしまいます。したがって
「法律を根拠にして道徳を律すること」は、一般的にきわめて困難であるといえ
ます。
法学の根本的な問題の一つに、「悪法も法なりや?」というのがあります。こ
れは、「正義」や「道徳」に反することが一見明白な法律があるとき、それも法
であるとして遵守するのか、法ならずとして無視し違法行為や脱法行為を「正当
に」行うのか、という問題です。これも「法律」の遵守がそのまま「正義」であ
ったり「道徳的」であったりするわけではないことに由来するものです。
宇佐美さんは、「ヒトラーの暗殺」と「良心的徴兵[兵役]忌避」を「確信犯」
の例としてあげ、「合法的であることが悪である」という考えにもとづく人間の
行為を提示しています。
この論争は、まだまだ続きそうですよ。
小出さんがおっしゃったように、「書かれたもの」をもとにして、できるだけ
正確に論争をトレースしていきます。
そして、藤岡「社会科」授業論と、宇佐美「道徳」授業論との両者の差異を明
確にし、それぞれの特徴が「授業づくり」にどのように生かせるのか、明らかに
していきたいと思っています。
98/05/22(金) 02:43 西内 裕一(EZY07731)
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<映画『ブラス!』を見てきました。>
今日、福島市内にある映画館「福島フォーラム」で、つれあいのみなみといっしょに映画を見てきました。
1996年に英国でつくられた『ブラス!』という映画です。原題は、BRASSED OFF(怒っている・お金がない)実在するにおこった出来事をもとにした作品です。
みだれ打ち子は、はじめから最後まで、涙が止まりませんでした。「労働者文化」としてのブラスバンド、炭坑労働者であるメンバーたちの日々が、綴られていきます。
サッチャー政権のもと、2400年までの国内需要を十分に満たす埋蔵量がある石炭を切り捨て、83年イギリス石炭庁は、3年間で6万4000人の坑夫を削減する計画を政府に提案、84年にも20ヵ所の炭坑を閉鎖すると発表した。これに対して全国鉱山労組NUMは84年3月、無期限ストに突入し、炭坑の閉鎖と人員削減に抵抗した。同年11月、サッチャー政権と石炭庁は、坑夫たちに対して、「職場に復帰すれば多額のボーナスを支給する」と発表、生活に困り果てた坑夫たちは、徐々にストから抜けていった。そして85年3月、NUMの投票によってイギリス史上最悪のストは終結した。この間に委員長のアーサー・スカーギルを始めとする、約6000人が逮捕された。サッチャーからメージャーに政権が移行しても、炭坑閉鎖計画や労働者解雇方針により、石炭業は窮地に追い込まれる。そして現在、イギリスの炭坑は氷河期を迎えている。電気産業の民営化で石炭の需要はさらに低下している。イギリス全土で現存する炭坑は、わずか22ヵ所に過ぎなくなっている。
映画のモデルになったグライムソープ・コリアリー・バンドは、1917年に創立された炭坑の町のバンドで、イギリスのチャンピオンバンドの中でも上位に位置していて、このバンドから音楽家になった人も多く、今では新しい作品の開発や研究をするイギリスの代表的なバンドである。1992年には炭坑閉鎖のため、一時バンドの存続も難しかったときもあったが、指揮者E.ハワースや、バンドマネージャーF.レントン等の努力によって、見事チャンピオンバンドの中のチャンピオンになった。
映画では、実際のグライムソープ・コリアリー・バンドの演奏が使われ、「アランフェス協奏曲」「ダニー・ボーイ」「ウィリアム・テル序曲」「威風堂々」などなど、実にすばらしかったです。「ヨークシャーの炭坑夫とその妻たちのユーモアと勇気と尊厳が、これほど感動的に描かれたことはなかった。そしてこれほど素晴らしい映画も長い間なかった」『デイリー・ミラー』紙、このコメントに全面的に賛成です。97年の「第10回東京国際映画祭」で、審査員特別賞を受賞したということもうなずけます。
機会があったら、ぜひご覧ください。
こんな映画がかんたんに見れるって、福島市は映画好きにはほんとうにいいところです。
町並みや生活ぶり、ぜんぜん違うのに、みだれ打ち子が育った造船労働者の町と、イメージがダブってしまって、それでまたよけいに涙が出たのかもしれません。どこまでいっても「育ち」を背負っているなーと、あらためて思い知らされました。
〈映画「陽のあたる教室」をビデオで見ました〉
映画「陽のあたる教室」のビデオを、教育学部の庶務係から借りてきて、見ました。
いゃー、音楽映画って、ほんとに素敵です。でも、これも「ブラス!」同様、単なる娯楽作品ではなく、アメリカの教育政策の貧困を告発するものにもなっているところがすごいのです。
音楽教師として、不本意ながら、ケネディ高校に赴任したリチャード・ドレイフアァス扮する音楽教師の、教育者として目覚めていくさまが、ドラマチックに描かれています。しかし、アメリカの「新自由主義」政策によって、高校の音楽科が廃止されることになるというすじなのです。
日本でも、「合校論」などの「新自由主義」がはばをきかせるようになると、同じようなことが起こりかねません。
おっと、犬の散歩の時間です。
続きは帰ってきてからにしますね。
とりあえず、中断です。
続きです。(6.19)
香港映画「LOVE SONG」を見てきました。一見甘いラブストーリーのような映画なのですが、中国大陸と香港との人々のメンタリティーの差がはっきり出ていて、面白かったです。また、すれ違いと出会いのドラマをまざまざと見せてくれたので、面白かったです。
ただ、映画館のなかが若いカップルとか、若い女の人ばかりだったので、みだれ打ち子は、すこし恥ずかしかったです。
【TRONについて】
最近、パソコンにはまっています。WINDOWSに、満足できなくなってきたところに出会ったのが、TRONなのです。
TRONはすごいです。どうすごいかについては、次回か次次回かにアップしますので、お楽しみに。
では、今回はこんなところで。
〈最近「ナチュラル・ハイ」ですね〉
ここのところ、体調もよく、体重も80キロから、74キロにまで減らせました。
少し「ナチュラル・ハイ」になっています。したがって、生産性が高くなっています。論文いろいろと書けそうです。
「社会科教育とマルチメディアの活用」
「中等社会科教育と生活指導」
「学校教育におけるマルチメディアの意味」
「初等社会科教育法と「模擬」授業づくり」
と、4本を執筆中です。
そのあとには、「みだれ打ち」をもとにしたものをセンター紀要の原稿として、書きなおすこと。郡司修一さんとの共著論文のうちあわせもあります。
坪野和子さんとの共著は、3校まで済ませ、あとは、発行を待つだけです。6月中には、発行される予定です。
「アジアの音楽を教える」というタイトルの面白い論文ですよ。
ご希望の方には、抜き刷りを送りますので、メールをください。お待ちしております。