いやぁ大変ご無沙汰でした。気がついたら21世紀になっちゃいましたね。・・といっても年号なんて人間が勝手に決めた事なので実際はただ単に変わりなく日が暮れて次の日が来てるだけなんですけどね。・・ということで21世紀最初の記念すべき(もうすでに私自身が年号に意味を持たせてます)発想辞典のテーマは「時間」です。(どう?壮大でしょ?) 授業で学生に「世の中に平等なものってある?」と質問すると必ず答えに出てくるのが「時間」です。理由を尋ねると「だって誰にとっても1日は24時間、同じように与えられているから」と自信満々に答えてくれます。「でも若いのにあと3年の命と宣告される人もいる一方で100歳以上生きられる人もいるのは平等?」と学生に突っ込むと、「寿命については不平等かも知れないけど私が言ってるのは1日の長さがみんな24時間で同じっていうこと」とこれまた自信たっぷりに切り返してきます。でも果たしてそれは平等と言えるんでしょうか?もしかしてそれは人間が勝手に決めた単なる時間の統一基準に過ぎないのではないのだろうか?と私は思うのです。例えばA君とB君が短距離走をするとします。A君が走る距離は100m 、一方B君が走る距離は50m だとしたらA君はきっと「そんなのズルい(不平等だ)よ」と言うでしょう。そしたらB君は自信たっぷりに言いました。「いやいや、平等だよ。だって僕の1mは100cm、君の1mも100cm、そこは全く同じじゃないか!」どうですか?明らかに理不尽なB君の言い分は先ほどの時間についての学生の言い分と実は同じではないでしょうか?つまり、平等かどうかを言うためにはそれらが単に同じというだけではダメで、同じ対象に同じものが「与えられ」て初めて「平等」と言えると考えられます。だから時間はそれぞれの人間に与えられた時点で、トータルとしての寿命としてしか平等かどうかを言うことが出来ないということになります。どう?ここまで納得していただけます?反論がある方は是非メール下さい。21世紀になった瞬間をみんなで祝ったり、21世紀最初の1月1日に入籍したりなんてくらいは記念なんだから結構なことだと思いますが、時間の単なる基準にあまりにもしばられ過ぎて「禁煙は今日からだとちょっと中途半端だから来月からにしよう」とか「2月からというのも中途半端だからいっそ来年からにしよう」とか、「いやいや、2002年からというのも考えてみれば中途半端だから22世紀から・・」なあんて先へ先へと引き延ばしてばっかりいると自分の寿命がいくらあっても足りなくなってしまうので「思い立ったが吉日」という先人の教えを肝に銘じて生きていきましょうね。この発想辞典も「思いついたが更新日」を肝に銘じて、毎週1回などという時間の基準ごときに振り回されないよう不定期に更新していくことを誓います!・・って言い訳?やっぱりバレました? |