その88 ■結果オーライはオーライ?

 久しぶりにゴルフやったりすると、自分としては「ボールを軽くチョーンと上げて美しくグリーン上にポトリって感じかな」なあんてプロ並みのイメージでアプローチショットを打つんですが、美しいイメージとは裏腹にクラブはボールの頭を叩いて、結果ボールは可愛い野ウサギのように芝をキョンキョンと跳ね転がってグリーンへまっしぐら!でも結果的にはうまい具合にグリーンオン!なんて事がしばしば起こります。すると周りからは「おぉ!結果オーライじゃん!」なんて優しい慰めのお言葉をかけていただいたりして、その優しさにはいっつも感謝しているんですが、この、結果オーライショットに対してはやはりスポーツマンとして素直に喜べないですよね。だって自分の思い通りにショット出来なかった、つまりミスショットなわけですから・・。もちろんそのショットによってスコアが悪くなることはないので、その点ではホッとする気持ちもあるんですが、たとえ結果オーライでもその過程が自分の思い通りでなければ本人にとっては「ミスショット」には違いありません。え?結果オーライでも嬉しい?ホントに?じゃあ例えば18ホール全部結果オーライショットでベストスコアが出たらそれでも嬉しいと思えますか?それでも嬉しいとしたらあなたはゴルフをスポーツとしてではなく運だめしとして楽しんでいるということになりませんか?つまりスポーツは自分の思い(イメージ)通りのプレーに少しずつ近づけていくところが面白いし、それがスポーツのかなり重要なエッセンスじゃないかと思っています。だから「こういうプレーをしたい、これが出来るようになりたい」という思いと実際のプレーとのギャップがある限りスポーツを楽しめるんじゃないかと思いますがいかがでしょうか?まあこれはスポーツに限ったことではなく、ピアノでも料理でも勉強でも言えることだとは思いますが・・。だからそういう意味では逆に何でもすぐに思った通り出来てしまう天才からすると、たとえ周りからどんなに「すっごーい!」と賞賛されたとしても人生はちっとも面白くないだろうなとちょっと同情してしまいます。だって仮に日本のどっかに「運動オンチ村」があってみんな「歩く」事すらままならなくて、「えーと、まずは右足、次は左足、それを経て右足、あ、でも右足出すと同時に左手を前、そして右足・・あれっ?どっち?」なあんて一々考えないと歩けない人たちばっかりの中にあなたが行ってスタスタ歩いたり走って見せたりましてや自転車に乗って見せたりしたら村人が「す、すっげー!天才!」ってなるでしょうけど、それって最初はちょっと優越感かも知れないけどそのうち、「俺にとっては当たり前、別に歩くのなんか全然面白くないよ」ってなりますよねきっと。これってつまり天才の心境ですよね。どうですか?逆にその村の人にとっては「歩くこと」が赤ん坊のように難しい分、「あっ今ちょっと歩けた!」ってだけで充分嬉しい楽しい大好きってことになります。ちょっと話が逸れましたが、だからスポーツでの結果オーライはスポーツ本来の楽しみからすると決してオーライではないというのが私の考えです。この辺が日常生活とちょっと違うトコで、日常生活では結果オーライは大体オーライですよね。例えば、寝坊した!と思ったら休日だった(ちょっと違う?)、傘を持ってくるのを忘れたが雨が降らなかった、宿題忘れたが先生も宿題出したことを忘れていた(これも違う?)、料理の味付けを間違ったがその方が美味しかった、乗り損ねた飛行機が墜落した、などなど。それに比べるとスポーツってやっぱり結果じゃなくて過程だよなぁって、会心のドライバーショットがどこまでもまっすぐ青空を切り裂くように300ヤード先のドッグレッグOBゾーンに美しく消えていった時に、妙に清々しい気分で前進4打へと歩き出しながら思っちゃいます。・・それにしてもどうしてアイアンで刻むって発想できないかなぁ・・。

▼その89 みんなエリート遺伝子・・