車修理のため、代車として久しぶりに軽のマニュアル車(クラッチと変速ギアがあるやつ)に乗りました。いやぁこれが実に楽しい!今どきパワステなしの4段変速、手動ウィンドウなんですが、質素で操作が大変な分だけ「自分で機械を操って走らせている」って実感がすごくあるんですよね。今まではオートマのパジェロに乗っていたので、アクセルをちょいと踏んだだけで滑るように走り、室内快適雑音遮断まさに至れり尽くせりで、何にもしなくても目的地まですいすすいー!ってな感じだったんですが、その分、今自分が運転しているんだ!という実感はほとんど感じられません。ま、楽チンだからそれはそれでいいんですが、今回のローテク軽自動車は、ハンドルの重さが地面とタイヤの摩擦を感じさせ、クラッチ操作が車の機械っぽさを感じさせ、ゴーッというロードノイズがリアルなスピード感を実に豊かに感じさせてくれます。あぁまるで高速移動するベンチシート!自分はいつの間にかこの実感を忘れていたんだなぁ・・。人々の生活が便利になるほど実感がなくなるのはこの他にも例えばカードでの買い物があります。財布から現金を自分の手で確認して支払うと、「あーこんなに使っちゃった」って分かりやすいですが、カードだとあまり支払った実感がないからついつい買い過ぎちゃったりしますよね。そういえば先日、ケータイ圏外の山奥から久しぶりに公衆電話で硬貨をを入れながら電話したときに、「ガシャン・・ガシャン・・」と硬貨が落ちる音を聞きながら「あー遠くから電話してるんだなぁ・・」という実感がすごく湧いたのを思い出しました。ケータイだとそういう実感、全然ないですよね。物作りにしたって実際に作るのは機械なわけで、手作りの温もりが感じられない大量生産製品はポイッと捨てちゃってもそれほど心は痛みません。もしコンビニのおにぎりや弁当が店員さん自身の手作りだったら、時間が経ったからといってあれほど簡単にポイポイ捨てられるでしょうか?メールだけで何度やりとりしたって、直接会って感じられる微妙な雰囲気というかフィーリングは伝わらないと思う私は古い人間なんでしょうか?月並みな結論で恐縮ですが、そういうリアルな実感を得ることが少ない時代だからこそ生身の人間が己の身体能力を最大限に発揮してぶつかり合うスポーツは、実際に全力でプレーしたり、そのプレーを見たりすることによって、生身の人間を再認識させてくれる貴重で重要な機会を与えてくれるんじゃないかと思うわけです。その昔、私が大学の体育学部に入学したとき、工学部か何かの入学生代表が「陸上競技では100m競争のコンマ何秒を縮めるために日々エネルギーを注いでいるが、運動音痴の私でもバイクさえ与えてくれれば、それよりもずっと速く100mを走ることが出来る」と、科学技術の生産性に対して、スポーツがいかに非生産的(つまり無駄じゃん意味ないじゃんってこと)かを雄弁に語ったのを今でも覚えているんですが、そんな彼だっておそらく勉強の気晴らしに散歩くらいはする筈で、それが「あ、ちょっと気持ちいいな」なんて思うずーっと先の延長上(同一線上)に100m競争があるって事を是非彼にも分かってもらえれば嬉しいなと思います。大昔は獲物を捕って食べるなんて具合に日常の全部がリアルな実感だらけだったんでしょうが、そうしたリアルな実感が少なくなった現在、スポーツがますます人間存在にとって重要だし、だからこそこんなにみんなの関心を集めるようになったのかも知れませんね。・・ちなみにリアルな実感を重視する私は、食品の賞味期限表示に頼ることなく、直接匂いや味でまだ食べられるか確認するようにしてます、ハイ。 |