その93 ■絆は長いほど強い・・

 クルマで長距離運転している時に、何気なく見ていた目の前のクルマがしばらく同じ方向に向かっていると、全くの他人なのに次第に何かしらつながりが感じられてきて、急に路地に曲がったりされると、「へぇーそっちが目的地なんだ、お疲れさん」ってな感じになりませんか?そういえば小学生の頃、通学時に一つの石ころをずっと蹴り続けていると段々愛着が湧いてきて、蹴り損ねて土手から落ちてもわざわざその石を拾いにいったり、家まで蹴り続けた記念にその石を持って帰ったりした記憶があります。また、私つい最近引っ越しをしたんですが、長年私と生活を共にした14型のリモコンなしテレビ(古っ!)や、毎日のように私のズボンを押さえ続けて切れかかっているベルトなどはすでに私の同志みたいなもので、完全に使えなくなるまではどうしても捨てられないんですよね。つまりたとえそれが他人だろうと物だろうと、行動を共にしたり長く付き合ったりすることによって両者の間に絆みたいなものが作り上げられ、その付き合いが長くなればなるほど強固に結びつけられるということなんだと思います。キーホルダーや小銭入れなど、いくら安物でも長いこと付き合った物が無くなったりすると「あーん、どこ行っちゃったんだよー!」ってなりません?新しいのを買えばいいやってすぐには思えないですよね。なんか人間関係みたいですね。私はバレーボールを長年やってますが、最近「バレー人口減少」なんて報道されると何か寂しい。別に私がバレーするのに大した影響ないんですけどね。またグランドでバレーボール使ってサッカーされたりすると、「あぁボールが可哀想・・」って思っちゃいます。自分のボールじゃないのにね。やっぱり私とバレーボールの間にも絆が出来てるってことでしょう。逆に、大所帯の強豪チームなんかでは部員が有り余るほどいるが故に、監督と選手一人一人の絆が弱い分、あっさり選手を入れ替えたり出来るんでしょうが、少人数の部員たちと長いこと関わっていると「あいつも練習頑張ってきたからなぁ」なんて絆に縛られて、純粋に勝利追求と割り切れないところがあるのが悩ましいところでもあります(面白いトコでもあるんですけどね)。結婚だっておそらく最初のうちは、好きだの惚れただので一緒になるんでしょうが、一緒に暮らすうちに「こんなハズじゃなかった」とか意見の食い違いで口げんかしたりして紆余曲折を経て共に暮らすうち次第に絆が強くなり一緒にいるのが当たり前になってきて、老夫婦になる頃には燃えるような恋愛感情もカッコイイ、美しいもきっと無くなるんでしょうけれど、「おーい、あれ」「はい、あれね」「あれお願い」「おっあれか」なんて具合に全てを分かり合えるような掛け替えのない存在になっていくんじゃないかなぁ?まだ分からないけど・・(含願望)。ちょっと話が逸れましたが、だから学校なんかで「物は大切に使いましょう」なんて言われてもそれは人間関係で「みんなと仲良くしましょう」と言われてるのと一緒で、結局自分がその物(人)とつき合った(つき合えた)長さによって大切に出来る(仲良くなる)かどうかが決まるのではないでしょうか?つまり「大切に使うから長く使える」のではなくて、「(気に入って)長く使ってる物だから大切に出来る」ってことだと思いますがどうですか?人間関係だって第一印象から合わない人を無理矢理頑張って好きになるのは至難の業だし、物だって買ったけど結局一回しか(あるいは一回も)使わなかった物って必ずあるし今後いくら注意して買い物したとしても絶対無くならないですよね。これをいくら「せっかくお金出して買ったんだからちゃんと使いなさい!」なんて親が怒ったって無理です。だってフィーリングが合わなかったわけですから。そこはさっさと諦めて長く付き合える物を新たに探した方が得策でしょう(お見合いもこれに似てるかも・・)。「広く浅く」も最初のうちはいいんでしょうがその中から気に入ったものを早く見つけて、最終的には「深く長ーく」を大切にしていった方がいいんじゃないかと、人生の節目を迎えるにあたって思う今日この頃です。うーん、この文章も深く、そして長ーいなぁ・・。

▼その94 トンボの目線・・