子供の頃、理科の授業か何かで、「トンボの目は複眼なので、トンボにはこんな風に見えているんです。」と、レンズがたくさん並んで同じ風景がたくさん映っているようなイメージ画像を見せられて、最初は「へぇー、こんなにいっぱい目に映ったんじゃ見にくそうだなぁ!クラクラしないのかなぁ?」なんて感心してたんですが、「ちょっと待てよ、誰もトンボの目を直接付けてみたわけじゃないのに分かるわけないじゃん、人間の目を通してトンボの目を見た時点で二つの目を重ねてる訳だから、本当にトンボの目がどう見えるか知るためには人間の目を外してトンボの目を付けてみないといけない、いや、トンボの視神経や脳の構造まで移植して、いやいや究極的には体全部トンボになってみないと、本当にどんな風に見えているのか知りようがないんじゃないだろうか?」って幼心にすっごく疑問に思った記憶があります。人間がトンボの目を解剖して特殊な構造をしてたからって勝手にこんな風に見えているんだろうなんてちょっと短絡的というか傲慢なんじゃないだろうかと思うわけです。いや詳しいことは分かりませんけど・・。例えばスポーツの世界でも傲慢な指導者はよく「おまえは何でそんな簡単な事が出来ないんだ!」なあんて怒ったりしてますが、この場合の「簡単なこと」とはあくまでその指導者にとって簡単な事であって、少なくとも失敗したプレイヤー本人にとっては決して簡単じゃなかったから失敗したわけですよね。つまり上手だった自分の経験の上にあぐらをかいたままでプレイヤーの立場まで降りてこれない二流三流の指導者ということになります。いや他人事じゃありません。私も女子バレーの指導をしていて「なんでオーバーパスがこんなにミスばっかりなんだろう?毎日練習してるのに、そんなに難しいかな?」って思ってたんですが、ある時、彼女達の手のひらの小ささにハッと気がつきました。「そうか私の手のひらは大きいからボールをしっかり包み込めるけど彼女達は両手で覆いきれないくらいの大きさのボールをコントロールしないといけないのか・・もし私が彼女たちの手のひらでオーバーパスをすることになったらうまくコントロールできるだろうか・・」つまり、彼女達と私ではそもそも使用している道具(手)が違っていたということに結構最近気がつきました。いや指導者として恥ずかしい限りです。人を教え育てる(=教育)ためには階段の上から見下ろして声をかけるだけでなく、相手と同じ段に立って同じ目線で、いやさらに相手より一段下まで降りてきて下から押し上げることも必要なんじゃないかと思う次第です。しかし、同じ目線になるというのがなかなか難しいんですよねぇこれが。・・似たようなことですが、自宅でハイビジョンの鮮やかなCM映像を見て「すごい!こんなに鮮やかに映るのか!うちもそろそろハイビジョン対応の最新型テレビに買い換えるか!」って決意しちゃったそこのダンナ!その鮮やかな映像を映してるのは今そこにある古いテレビだということに気がついて下さいね。(今の古いテレビの目線で)きれいだって思ったということはまだまだ使えるって事ですから・・。 |