その99 ■蝉の亡骸に思う・・

 成仏した蝉の姿を頻繁に見つける今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?・・というわけで(どういうわけだ?)、今回は蝉の寿命について考えてみます。蝉は一般に寿命の短い生き物として取り上げられ、生命のはかなさを感じさせる代名詞になることが多いようですが、みなさんご存じのように蝉は幼虫時代は7年くらい地中で暮らしているわけで、トータルとしての寿命は決して短いわけではないですよね。ただ、その地中での長くて「暗い」幼虫時代に比べて成虫として「自由に」飛び回れるのが1,2週間だなんて・・という、つまり「自由な時間が短くて可哀想・・」という人間の勝手な想像、そして「きっとあの鳴き声はそのはかなさを嘆いて」「いや、短い自由を精一杯謳歌したいという切ない表現・・」などとそれこそ勝手な思い込みが氾濫してる気がします。でもどうでしょう?蝉たちは本当に成虫の飛び回れる自由を楽しんでるんでしょうか?もし本当に飛び回れるのが楽しいんだったら、木にしがみついてミンミン鳴いてばかりいないと思うんですが・・?そういえば外で蝉が飛び回っているところってあんまり見かけないですよね。どちらかというとしがみつくための木を探して「しょうがなく」飛んでる感じ(だってすぐ木にとまりますよね)、あるいは鳥に追いかけられてそれこそ「必死に」飛んで逃げてるとこくらいしか見かけないんですが、どうでしょう?むしろ蝉たちにとっては、鳥に食べられたりする危険もなくのんびりと平和に過ごしていた地中での幼虫時代の方がはるかに幸せだったと、人生、いや蝉生の最終局面で、いきなり激動の戦場に送り込まれて戸惑う戦闘機パイロットの心境で憂いて鳴いて、いや泣いているのかも知れません。ま、蝉の心境は知りようがないので置いとくとして、でも人間を含む多くの生き物は生まれてから徐々に成長し生命のピークを迎え、その後徐々に老化が始まって体の機能が衰えて死に至るわけですが、蝉のような昆虫たちは生命の(そして自由度の)ピークが最終局面にあるっていうのは、競技をしている人間からするとちょっと羨ましくも思えます(女性の皆さんも同じ思い、ありません?)。成長期のうちは練習やトレーニングを続ければ確実にパフォーマンスが上がるって保証があるわけですが、身体的にピークを過ぎてからも競技を続けるということは、身体的には下りのエスカレーターを逆に駆け上がろうとするようなもので、その隣で上りのエスカレーターに乗ってさらに駆け上がろうとしている若いプレーヤーと競うっていうのは、こりゃどうしたって「ようし負けないように頑張るぞ!」って思うのには気力のいることだし、昔出来たことが今出来ないという事実を受けとめながら競技を続けるっていうのは、競技者としてのプライドが高いほどしんどいことだと思うわけです(だから千代の冨士が貴乃花とがっぷりよつに組んで負けたときに引退を決意したのはすごくよく分かります)。だからいっそのこと蝉のように、いくつになっても練習を続けるほどパフォーマンスが右肩上がりに上がり続けて、そこで競技を終えられたら幸せなんじゃないかと、昔ならスパイカーの打とうとするコースを読んで手を自由に動かしブロックでカモにするのが趣味だったのに、今は精一杯上に伸ばしたブロックの手をかすりもしないでコート中央にスパイクを決められるたびに思う今日この頃です。・・ダイエー秋山選手、本当に長い間お疲れさまでした。成仏した蝉の皆さんも、お疲れさま。どちらも仕事を全うした、いい顔してるぜっ!

▼その100 人類の利益・・