突然ですが、「愛妻弁当」って何かとっても愛情たっぷりのイメージがある(例えばごはんの上にそぼろでハートマークを形取ってあったりする・・)んですが、愛妻の「愛」は妻の形容詞、つまり愛する妻ということ、つまり夫から妻へ向かう愛(夫→妻)なわけで、だから愛妻弁当とは、自分が愛する妻が作った弁当ですから、その中に必ず愛(妻→夫)が盛り込まれているとは限らないということになります。もしかしたら愛情うんぬんよりも家計の出費を抑えるために仕方なく弁当を作って夫に持たせている家庭もあると思いますが、それでも夫が妻を愛してさえいれば確かに「愛妻弁当」には違いありませんね。だから今の世間のイメージからすると、「愛妻弁当」はむしろ「愛夫弁当」とすべきだと私は思いますがどうでしょう? 「障害者」という言葉は「害」という言葉のイメージが良くないからなどという理由から「障がい者」と、害という漢字を使わない事があるそうですが、これも明らかに「害」は障害の害であって、人に向かうものではないハズです。それを必要以上に気にして「障がい者」なんて書いたら余計何を言いたいか伝わらなくなるんじゃないかと思うんですがどうですか?もしそれがダメだったら被害者も被がい者にしないとダメですよね?(でもそう言えば「被がい者」って使い方もどこかで見たことあるような・・?)何か問題ありそうだと、とりあえずそのリスクを避けて事なきを得るやり方のようで、あまり根本的な解決になってない気がします。ハイウェイカードが偽造されやすいから廃止するって、そりゃ敗北宣言じゃないの?撤退しないできちんと偽造されないカード開発してくれー!(実はETC普及のための作戦?って疑われても仕方ないよ、ねっ○○○○公団さん?) だから障害者の「害」がイメージ悪い、なんて言われても、「いいえ、障害の害ですから」ってきちんと説明して納得してもらうべきではないでしょうか?タレントの松本人志さんも著書「愛」の中で、「あそこに髪の長いヤツおるやろ、と同じように『障害持ってるヤツ』と言えるようにならんと、いつまでたってもあかんと思う」って言ってます。確かにあんまりオブラートにくるみ過ぎると、逆に味が分からなくなりますからね。 もっと言うと、そもそも害虫だって虫の存在自体が害なワケではもちろんなくて、単に人間にとって害になるからって事ですよね?当の害虫からすれば、自分たちが生きていく上で殺虫スプレーや○○ホイホイと生を脅かす存在の人間こそ「害人」なわけです。それぞれの言葉はどういう立場からどういう方向に向けられているのかを一度はっきりさせておく必要がありそうです。 こんな事書くとまた、「障害者と害虫を一緒に論じるなんて・・」なんて批判が来るんでしょうか?じゃあ障害者の障害はどこから生じているのでしょうか?それは障害者自身が持っているというより、それに社会が対応できない事(例えば車イスのためのスロープがない等)によって生じている不都合が障害になっていると考えるべきでしょう。つまり障害者の障害は実は我々一般社会の不備に向けられていると考えることが出来ます。 ま、障害者の害の方向性に比べれば、愛妻弁当の愛の方向性なんて大した問題ではないとは思いますが、些細な事でも流さずに一度はっきりさせておくことが大事なんじゃないかと思い、敢えて愛妻弁当問題について書いてみました。・・いや、決して私の個人的な問題ではありませんよ念のため。だって私の昼食は常に大学の食堂ですから。え?だから愛妻弁当に対するひがみが入ってるんじゃないかって?うーむ、もしかするとそのひがみがこの発想を生んだのかも。必要は発想の母だなぁ・・。 |