「火事場の馬鹿力」って言葉がありますが、人間って追い込まれると思った以上の力をを出す(というか、出さざるを得ない)ことありますよね?例えば試験前夜に勉強しないで眠ってしまって、朝5時くらいにハッと目が覚めたときなんて、慌てながらもその瞬間から頭がグルングルン回転して、試験に出そうなポイントからガーッて覚えて「次はこれ!こいつは後回し!」なんて時間とにらめっこしながら点数を取るための究極の効率性を瞬時に判断し、スポンジのように頭に吸収していたような気がします。(でも試験が終わると同時に忘れてましたけど・・) 身体的な部分でも「火事の時に大事なピアノを一人で運んだ」なんてウソかホントか分からないような逸話も聞きますよね?私の友人は体育教員採用試験本番の時に生まれて初めて「け上がり」が出来て、出来たのは後にも先にもその一回きりだったそうです。追い込まれると不思議とすごい能力が発揮されるものですね。 でもよく考えてみると、もともと自分が持っていない力が発揮される事はないワケで、これは自分がもともとそれだけのポテンシャルを持っていたけど、普段追い込まれない状況ではその力を発揮しない(させられない)でいた、と考えるのが自然でしょう。いわゆる「生理的限界と心理的限界」ってヤツです。人間は生理的(筋力的)にはもっと重い物を持ち上げられるハズなのに、自分では「これ以上の重さを持ち上げるのは無理!」って身の安全を確保するために心理的なブレーキをかけちゃうらしいんですが、非常事態になるとその心理的制御が外れて自分が思う以上の力を発揮できるということらしいです。 ところで、スポーツ強豪校ではあれだけ批判され問題になりながらもちっとも減らない体罰&暴力事件ですが、実はああいった指導者が体罰を止めない(止められない)のにはこの「火事場効果」が体罰や暴力に一定程度あって、スポーツ技能上達を促進している面がある、ということが意識的、あるいは無意識的に感じられているからなんだと思います。もちろん決してやってはならない事ですが、一回使ってみたら効果が出て、また使ってしまう。そうして使い続けると次第に慢性化して効かなくなり、効果を持続するためにだんだんエスカレートしてしまい、ついには事件沙汰となる。何だかドーピングみたい、そう、これは恐怖感によって心理的限界を超えさせ、緊張感や集中力を引き出す、心理ドーピングと言ってもよいくらいのものです。 体罰や暴力は違法ドーピングなので論外ですが、合法ドラッグ、いやそんな違法スレスレじゃなくて、もっと科学的にきちんと考えられた火事場効果トレーニングは無いものだろうか?と考えていたら、「あれっ?従来の練習法がそうじゃないか?」ということに思い至りました。例えば「打ち込み○○本!」ただひらすらに規定本数スパイクを打ち込む全く単純な練習ですが、ミスしたら打ち直ししなければならず余計にしんどくなるので、毎回やっているうちに次第にミスをしないように、規定本数を効率的に決められるように無駄な体力を使わないように自然と効率的な筋力の発揮になっていくようです。その他にも、「ミスしたら(負けたら)ペナルティを与える」という練習方針はどこでもごく普通に行っている従来の練習スタイルです。最近スポーツの分野でも「科学的トレーニング」や「合理的な練習スタイル」みたいなものがもてはやされているようですが、でも従来のいわゆる「追い込み型」の練習方法も実は心理的にプレッシャーをかけることで自然に集中力や筋力発揮の効率性を向上させることが出来る科学的トレーニングでもあると言えそうです。 結局、どんな科学的トレーニングや合理的トレーニングでも、緊張感なくダラダラやっていたら意味ないし、そういう意味では従来の「根性主義」と言われ批判されそうな練習法がやっぱりベースとして必要なのかなと、最近思うようになりました。あれっ?これってもしかして私が歳をとったことによる懐古主義ってヤツでしょうか?いや、何を言われようと私はこれからも(ってことは今までも?)科学的根性主義の頑固な指導者であり続けることをここに誓いますっ!・・何せ私は冒頭に書いた試験当日の火事場効果をどれだけ実感したか分かりませんから。・・え?それじゃ日々着実に練習させることと矛盾するって?・・確かに! |