先日、トイレットペーパーを買いました。スーパーで298円クラスのものと398円クラスのものが売ってあり、貧乏性の私は、いつもは迷わず298円の方を選んでいたんですが、その時はふと魔がさして398円の方をカゴに入れました。帰って早速そのペーパーを使ってみたんですが、その肌触りといい、柔らかくもしっかりした作りといい、298円クラスのペーパーとは格段に使用感が違います。それが12ロール、すなわち数ヶ月はそのしあわせが続くわけです。しかもその差額はたったの100円!缶コーヒー1本にも満たない・・。今まで私はたった100円の支出を惜しんでどれだけトイレでの快適さを損ねてきたんだろう・・。 その前はフライパンでした。2000円くらいのテフロン加工のフライパンを2年ほど使っていたんですが、表面に傷が付き、徐々にこびり付くようになってしまったのを、まだ使えるからと一生懸命こびり付きを剥がしながら苦労して使い続けていました。しかしスーパーで480円のテフロン加工フライパンに目が止まり、「480円だから、ま、いいか」と試しに買って早速使ってみたら、その滑るような具材の動きといい、後始末の簡単さといい、感動ものでした(でもま、当たり前ですよね、テフロンなんですから)。「あー、俺はたった480円をケチっていたために一体どれだけの料理ストレスを抱え込んでいたんだろう・・」と思うと、何でもっと早く買い換えなかったのかと悔やまれます。・・ま、結果気付いたからよかったんですが、これに自分が一生気がつかなかったらと思うとゾッとします。 この他にも、例えば浄水器。3万円くらいしたんですが、入れたコーヒーの味がまるで違います。ご飯を炊いたり料理に使ったりと日常的に水は使うので、この美味しさを毎日味わえることを考えると3万円なんて安いものです。だって単価で割ったら3年使ったとしても一日30円くらいですから。そしてディーゼル車からガソリン車への乗り換え。毎日乗るクルマの黒煙への罪悪感と加速のスムーズさを比較したらガソリン代の20円差なんて大したことありません。考えたら他にも沢山ありそうですが、つまり日常的に行うことにもっとお金やエネルギーを注ぐべきだとこれらの例から思ったんですが、どうでしょうか? そう考えるとスポーツをしている時間は限られているので、気の利いたプレーをしようと思っていくら練習で頑張ったとしても、それ以外の日常生活時間に気を抜いてボケーッとしていたら、どう考えても日常生活の時間の方が長いので、スポーツで気の利いたプレーなんて出来るわけがありませんね。その場合はまず日常生活の意識改善から始めないといけないのかも知れません。いくら熱心に筋力トレーニングをしても、日々の食生活が疎かになっていたら肉体改造なんて出来ないし、練習試合をどれだけ消化しようと、基礎的なプレーが身についてなければ意味がないですよね。 要するにスポーツでも何でも日常的で基礎的な部分を大事にしていきましょうということです。・・でも実際は、自分が日常的に行っている事はそれが当たり前だと思い込んでいるので、自分からはなかなか改善出来ないものですよね?我が家のテレビは未だに14インチのテレビデオ(しかもビデオ部分は故障してる)なんですが、自分の中でこのサイズのテレビが当たり前だと日頃思い込んでいるので、「いやぁ画面小さいなぁ」とは全く思いません。でももし我が家に30インチの最新液晶テレビがやってきたら「なんで今までこんなちっちゃいテレビで我慢してたんだろう?毎日観るんだからもっと早く買い換えとけば良かった・・」と、トイレットペーパーやフライパンのように後悔するんだろうなぁきっと・・。でもそうやって改めて身の回りを見回しちゃったりすると、パソコン(現在は借り物)、プリンター(持ってない)、カーナビ(現在はマップル)、洗濯機(8年ほど使用中)、ケータイ(10万画素のカメラ付き初期モデル)などなど、買い換え候補選手がこぞって順番待ち状態なので、なるべく気が付かないようにしてます。なんせ貧乏性、いや物を最後まで大事に使うタイプですから・・。 |