その157 ■必修と選択・・

 大学の授業には必修科目と選択科目があり、所属する学生全員が必ず取らなければならない授業は必修科目、興味があれば取ればいいし、なければ取らなくてもよい授業は選択科目と呼ばれて区別されています。必修にする授業というのは、全ての学生に身に付けて欲しい内容だから必修にするわけですが、その分、必修授業には、その内容に興味を持っていない学生も「必修だから仕方なく」授業に出てくるわけで、受講態度に差があり、授業を進める方はなかなか大変だったりします。それに比べて選択授業は少なからず興味がある学生ばかりなわけで、その分授業は進めやすくなっています。

 この、必修と選択という視点で日常を当てはめてみると、例えば献血はやってもやらなくても良いので選択科目ですが、この献血の恩恵を誰が受けることになるか分からないということを考えると、献血はむしろ必修科目、すなわち国民全員が一律にやるべきなんじゃないかと思うわけです。これを一部の善意ある人にだけ頼っている現在の献血システムは今後次第に危うくなっていくように思え、ちょっと心配です。(いっそポイント制にして、大災害の時など、ポイントによって救出や輸血が優先されるってのはどうでしょう?そしたらみんなマメにポイントを稼ぐために献血すると思いますよ。)

 次に、選挙ですが、これも現在のところ、投票する権利が与えられているだけなので選択科目ですね。この選挙については最近、投票率の低下が叫ばれており、投票率をアップさせようといろいろなキャンペーンを行っていて、世間の風潮は必修の方向に向かっているように感じます。選挙に行かないと非国民みたいな扱いですよね最近。でもこの流れは、政治に関心を持つ、ということとセットであれば良いのですが、ただ単に「みんな投票に行こう!」というのでは決して政治は良くなりませんよね?だって一生懸命考えた末の1票が、「どっちでもいいや」と反対側に入れられた1票によって相殺されてしまうんですから・・。だから単なる投票率アップのために「投票したらクーポン券が当たる」なんてキャンペーンは断じてするべきではないと思います。

 バレーボールの練習などでも、例えば「二段トスからのスパイクをみんなで100本決める」という課題を与える時がありますが、この時、チームのみんなが同じくらいの責任感で100本決めようとするなら問題ないのですが、やる気や責任感に違いがあると、「頑張る人だけが頑張る」練習となり、全員の練習にならないばかりか、チーム内に不和を生じさせてしまいます。だってこれは「チームの誰かが決めればいい」練習なので、チーム課題としては100本必修ですが、個人から見れば選択ですよね。だからそういう場合は「一人10本ずつ決める」という課題にしたほうが、一人ひとりに確実に課題を課す練習になるワケです。献血で言うと、献血をしない人に「1年に1回は必ず献血する」ことを義務、すなわち必修にするやり方ですね。(これは是非やった方がいいと思いますホントに)

 この必修と選択については近年、「必修」から「選択」へ流れていくことが多いように感じます。例えば体育授業で行う種目もどんどん早い時期から「自分がやりたい種目を選択する」授業形態が増えてきました。そのうち、体育の授業自体が、音・美・体から一つ選択となる日も遠くないかも知れません。そうやってやりたいことだけやる、やりたい人だけやる、好きなものしか食べない、ってなると、やりたくないんだけどやらなくちゃいけない事をやる機会がどんどん減っていって、どんどん偏り、人間としての根っこの強さみたいなものがなくなってしまうようで心配です。

 ま、今、教育界では、ゆとり教育の反省から、もっとしっかり勉強させる必修的な考え方も強調されてきているようなので、現時点ではどちらに向かっているとも言えなくなっていますが、少なくとも今時の若者が言いそうな「別に、やりたい人がやればいいんじゃないすか?」という発言にひるむことなく、「やらんばならん事はやらんばならん!」という頑固オヤジ的な発想が結構大事な気がしてきた、まさにオヤジの発想事典なのでした。(「今日のワンコ」風結びにしてみました)

その158 発想転換メンタルトレーニング・・