その162 ■怒る方と怒られる方・・

 先日、ある人から「帰宅時間の連絡が不徹底である」と怒られました。
 その時にふと感じたことですが、ある人がある人に怒られている場面を思い浮かべた時に、大人なのは一体どっちだろう?ということです。例えば生徒が教師に怒られている場合、大人はもちろん教師側ですが、大人の対応をしているのはむしろ生徒の側ではないか、と思うのです。だって「怒る」「怒った」ということは感情がストレートに出てしまっていますよね。それに対して怒られる方は、「だって・・だったから」といった反論や「そんなに言われなくても分かってる」と言い返したい感情を抑えて黙って怒られてるワケです。ま、言い返すとさらに怒られるからここはやり過ごそうという大人の判断が働いてるんでしょうけどね。つまり、感情むき出しの怒る方に対して、感情を抑え我慢して怒られていようと理性的な判断が出来ている、怒られてる方がよっぽど大人ではないか、ということです。「怒る」と「叱る」「注意する」は似ていますが、「叱る」や「注意する」には理性的な判断が働いているニュアンスがありますが、「怒る」は「泣く」や「悲しむ」と同様、感情が前面に出ている感じですよね。だから怒る人と怒られる人の関係は、立場的、状況的には怒る方が上のことが多いですが、人間的には黙って怒られてる方が大人ではないかと感じた次第です。
 そう考えると、誰かを怒る、とかどなりつける、ということは、相手のために怒ってやってると思いがちですが、実は自分の怒りの感情を出して自分がすっきりしたいだけなのではないか、そして怒ることが実は相手のためにはあまりなっていないのではないか、とも考えられます。だって単に自分の感情をドーンとぶつけちゃってるだけですから。だから本当に相手が悪いことをした時には、「怒る」よりも「叱る」「注意する」「納得させる」「諭す」などの、相手に真の反省を促し、その後の行動を本人自身の自覚によって変えさせるような理性的な判断に基づく働きかけが必要なのだと思います。
 スポーツの指導場面でも「おい!何してんだ!」「コラッ!またか!」「バカ!」なんて言葉が指導者から飛び出すことがありますが、そのような言葉を頻繁に使う指導者は、それらの言葉が単に選手をビビらせるだけの恫喝語になっていないか、自分の感情を吐き出すだけの言葉になってないか、その言葉かけによって選手の真の反省や自主的な行動変容につながっているのかどうかを吟味してみる必要があると思います。最近は「怒る」の代わりに「キレる」なんて表現が頻繁に使われるようになりましたが、確かに怒りの感情が抑えられなくなり、理性的な判断が切れてしまったときに「キレた」状態になるという点では、「怒る」という状況をよく言い表している言葉だと思います。指導に言葉かけは必須ですが、いつも怒ってばかりいると、怒られているほうは「怒られないように行動する」ようになってしまい、怒られなければ元に戻ったり、怒られなければ何もしなくなったりして、真の意識変容、行動変容は期待出来ません。だから指導者を自覚するのであれば、「怒る」のは自分の心の中に留めておいて、「叱る」「注意する」「反省を促す」「納得させる」「諭す」「やる気にさせる」「助言する」「頑張らせる」「褒める」「伸ばす」でなければならないなぁと、久しぶりに怒られたことによって気付かされました。私を怒ってくれた人に感謝です。・・あれ?感謝してるということは、もしかして私は怒られたのではなく、実は理性的に叱られてたってこと?・・んー、でも単純に怒ってるようにしか見えなかったけどなぁ・・。

その163 基準が揺れては・・